小説「新・人間革命」 福光 5 2011年 9月6日

山本伸一は、福島文化会館の庭にある池の前に立ち、語らいを続けた。
「過去の歴史が、いかにすばらしくとも、皆が、草創期の闘志を失い、実践がなくなれば、やがて、広宣流布の衰退が始まってしまう。
そうなれば、個人の宿命転換もできなければ、立正安国の実現もない。
いよいよ、これからだよ。私は、今回、草創の同志の皆さんには、生涯、広宣流布の戦いから退いたり、怠惰になったりしては、絶対にならないと、訴えようと思っている。
戦いをやめてしまえば、元の木阿弥だ。大聖人が、『火をきるに・やす(休)みぬれば火をえず』(御書一一一八p)と仰せのように、一生成仏の大願を果たすことはできない。
これまでの血のにじむような努力が水の泡になる。それほど残念で、かわいそうなことはないもの。だから、未来のために、言っておこうと思っているんです。
『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』(同九五五p)というのが、大聖人の御指導ではないですか。
誉れある創価の師弟であるならば、命の燃え尽きる瞬間まで、戦って、戦って、戦い抜くんです。牧口先生も、戸田先生も、そうだったじゃないか。
私も、そうします。戦い続ける人が幸福なんです。その人が、人生の勝利者です。その人が、地涌の菩薩であり、仏なんです。
したがって、今回は、草創期を切り開いてくださった指導部の方々との、新出発の意義もとどめておきたいんです」
指導部は、学会の草創期から設けられていたが、一九七四年(昭和四十九年)八月、各県・本部に指導長、指導委員が置かれ、新しいスタートを切った。
その後、総ブロック(現在の支部)、大ブロック(現在の地区)、ブロックにも指導部制が敷かれた。
指導部のメンバーは、信仰体験も豊富な、歴戦の闘士である。
その人たちが、信心の模範となり、多宝の生命を輝かせながら、後輩の育成、個人指導に、いかんなく力を発揮していくならば、広宣流布の大推進力となろう。