小説「新・人間革命」 福光 6 2011年 9月7日

山本伸一の話は、「世代論」になっていった。
福島県もそうだが、今や、三十代の世代が、各県の中心になりつつある。満々と活力をたたえた若い世代が、広宣流布の本舞台に躍り出て来たんだ。
皆、私が、会長就任後に、大切に育て上げてきた弟子だ。しかし、組織もできあがってから、幹部になってきた世代だけに、本当の苦労をしていない。
周囲の人たちから、のけ者にされたり、蔑まれながら、泥まみれになって折伏してきたという経験も乏しい。
そのためか、広宣流布の開拓力に欠けているという弱点がある。スマートで頭のいい人が多いが、根本的なところで、信心への確信が弱い。
また、本当の折伏精神が身についていないというのが、私の実感でもある。
だから、運営能力には長けていても、大闘争となると、生命が一歩引いてしまい、すぐに、腰が砕けてしまいがちだ。
苦戦のなかで勝利をもぎ取ってくるには、捨て身になって戦う、必死の覚悟がなくてはならない。
開拓力、決着力がない指導者のもとからは、折伏の闘将も育ちません。
ともかく、若いリーダーが、今のままで成長が止まってしまえば、学会は衰退を免れないし、未来はない。
広宣流布とは、未踏の原野の開墾作業だ。苦労して、苦労し抜くんだ。楽をしようなんて思ってはだめだ。
保身、臆病、姑息、手抜き、インチキがあれば大成はできないよ。
折伏や個人指導をはじめ、一つ一つの課題に、全力で真っ先に取り組み、自ら勝利の結果を示していくんだ。
一人ひとりの同志に、誠実に、真剣に、体当たりでぶつかっていくんだ。それが師子王の生き方だよ」
フランスの女性作家ジョルジュ・サンドは、小説の登場人物に、こう語らせている。
「人の役に立つ仕事、真剣な献身がわしを鍛え直してくれたのだ」(注)
自身の生命を磨き、鍛えるのは、広宣流布への「真剣な献身」である。伸一は、その精神を、若き県長に注ぎ込みたかったのだ。