小説「新・人間革命」 福光 18 2011年 9月22日

懇談は、物事をじっくりと語り合える好機である。
山本伸一は、この機会に、特色の異なる地域をかかえる福島県の幹部に、団結の在り方を、あらゆる角度から、徹底して訴えておこうと思った。
「幹部が本当に団結しようと決意しているならば、それは、具体的な行動、振る舞いとなって表れます。
団結がある組織というのは、県でいえば、まず、県長と県婦人部長など、県幹部同士の連絡、報告が密です。
「今日は、県幹部の誰が、どこの組織に入っているか」といったことも、お互いに知っています。
また、自分の担当した地域で、何か問題があった場合も、すぐに連絡を取り合い、情報も共有されています。
さらに、互いの気遣いがあります。
県長が、さまざまな仕事をかかえ、一人で悪戦苦闘していたら、ほかの県幹部は、『何か、私にできることはありませんか。
なんでもやらせていただきますよ』と、すぐに言えるようでなければならない。
立場の違いはあっても、自分が中心者の自覚で、県の一切の責任を担っていこうとするのが、県幹部の姿勢です。
それを、「我関せず」「お手並み拝見」とでもいうような態度で、冷ややかに見ているとしたら、それは、もはや、広宣流布の組織でもなければ、学会の世界でもありません。
野球を見ても、出場選手の誰もが球の動きを注視し、展開に応じて皆が動き、もし、一塁が手薄になれば、すぐに別の選手が、そのカバーをするではないですか」
詩聖タゴールは力説している。
「正義の搖ぎなき信仰と結束との中に、我々の力を求めなければならぬ」(注)
まさに、至言といえよう。
創価の慈悲の大力もまた、広宣流布をめざす異体同心の結束のなかにこそ、大いに発揮されるのである。
福島県の幹部たちは、伸一の話に、真剣な面持ちで耳を傾けていた。