小説「新・人間革命」 福光 20 2011年 9月24日

懇談会は、「団結論」の研修会の様相を呈した。
山本伸一は、話が一段落すると、会場の青年たちに目を向けた。
福島県の青年部長は、奥津君だったね」
「はい。奥津正です」と言って、メガネをかけた生真面目そうな青年が立ち上がった。
彼は、聖教新聞の記者で、東京の品川区で区男子部長をしていたが、二カ月前に県青年部長の任命を受け、移転してきたのである。
「よく知っているよ。実家は、品川の果物屋さんだったね。一度、家に伺ったね。もう四年前になるかな」
「はい! おいでくださいました」
一九七三年(昭和四十八年)四月、伸一は奥津の実家を訪問し、両親と彼ら夫妻を激励したのである。
伸一は、懇談会の全参加者に言った。
「私は、本来なら、会員の皆さんのお宅を一軒一軒訪問し、共に勤行もし、語り合いたいんです。
特に、さまざまな悩みをかかえて苦しんでいらっしゃる方とお会いし、肩を抱き、生命を揺さぶるように、励ましたいんです。みんな、大切な仏子だもの。
その時間は、なかなか取れませんが、それが私の心です。また、それこそが、初代会長の牧口先生以来の、会長の心なんです。
牧口先生は、父母などを折伏できずに悩んでいる青年から相談を受けると、『正法を教えることは最高の親孝行です。
その心が尊い。私が行ってお会いしよう』と、日本中、どこへでも足を運ばれています。
軍部政府の弾圧で逮捕される前年の昭和十七年(一九四二年)にも、福島県の、この郡山や、二本松にも来られている。
仏法対話の結果、いずれの地でも親御さんが入会しています。当時、上野から郡山までは列車で約六時間。先生は、既に七十一歳です。
また、牧口先生は、福岡県の八女にも、青年に頼まれ、その家族の弘教に訪れている。
三等車の固い座席で、丸一日以上の旅です。この誠実な行動が、青年を育てるんです」