小説「新・人間革命」 福光 21 2011年 9月26日

初代会長・牧口常三郎は、一九三九年(昭和十四年)春、福岡県八女に住む夫妻を訪ねる。
東京で暮らす、その子息と夫の弟から、夫妻を入会させたいと相談されたのである。
牧口は、夫妻に、諄々と法を説いた。理路整然として確信あふれる話に、二人は入会を決意した。その時、牧口は語っている。
「あなたたちが御本尊様をいただくということは、仏法の原理に照らして、九州の全民衆が不幸から救われることになるんです。
日蓮大聖人は、『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし』(御書一三六〇p)と仰せです。
今、あなたたちが、この最高の御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えるということは、地涌の義によって、九州にも必ず、さらに、二人、三人、百人と御本尊を持つ人が現れるということなんです」
そして、こう訴えたのである。
「題目は自行化他といって、自分がお題目を唱えるだけでなく、人にも、それを教えていかねばならない。
これが大事です。自行化他の信心をすれば、悩みは必ず解決します。
しかし、仏法を信じて正しく行じていけば、必ず障魔が競い起こってきます」
牧口は、新入会の友に、仏法の法理を明確に語り、深く決意を促していった。
のみならず、翌日には、「早速、実践に移らねばならない」と言って、長崎県の雲仙にある、牧口の知人の家に、この夫妻を連れて弘教に向かったのである。
雲仙に向かう車中、牧口は、二人に言った。
「私が折伏するのを、よく見ておきなさい。
折伏が宗教の生命なんです。他人を利していく生活こそ、大善といえるんです」
入会したならば、勤行、折伏を教え、広宣流布の対話の闘士へと育てていく。そこで、弘教は完結するのである。
ともあれ、一人のために、どこまでも足を運び、仏法を訴え、励まし抜いていく──それ以外に、広宣流布の前進はない。