小説「新・人間革命」 福光 23 2011年 9月28日

福島文化会館滞在二日目、山本伸一は、早朝から、福島県、東北の愛する同志に贈るために、山と積まれた書籍などに、次々と激励の一文を認めていた。
その後、福島県の幹部らと懇談し、午後一時半過ぎからは、文化会館の庭に立つ、歴代会長の碑の除幕式に出席した。
伸一が紅白の紐を引くと、白布が取り除かれ、黒御影石に彼の筆で、「妙法の 広布の旅は 遠けれど 共に励まし とも共に征かなむ」との、戸田城聖の歌が刻まれた碑が姿を現した。
同時に、初代会長・牧口常三郎の「学会精神」、戸田の「大願」などの文字が刻まれた石碑が、一斉に除幕された。
伸一は、戸田の歌碑の横に立つ碑文に、じっと視線を注いだ。この碑文を作ったのは伸一である。
そこには、こう認められていた。
「我ら戸田門下生は 広宣流布のその日まで勇んで三類の嵐を乗り越え 恩師のこの和歌を永遠の原点となし 異体を同心として 仏意仏勅のために共戦しゆくことを ここに誓うものなり」。
そして、「我が創価門下はすべからく 生々世々 代々の会長を中心に折伏弘教に邁進すべきことを ここに書きとどむ」と結ばれていた。
彼は、福島の同志に語りかけた。
「福島は、何があっても、この精神でいくんだよ。創価門下ならば、いつ、いかなる状況に置かれようが、広宣流布の歩みをとどめてはならない。
大聖人が『月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし』(御書一一九○p)と仰せのように、進まざるは退転につながる」
次いで伸一は、庭の一角にある池で、鯉の放流式に臨んだ。
県の幹部が、彼に言った。
「この池には、まだ名前がありません。ぜひ、命名をお願いしたいのですが……」
「わかりました。では『生々の池』にしましょう。永遠の生命の意味です。また、私たち創価の同志の絆も永遠だからです」