小説「新・人間革命」 共戦44 2012年 1月6日

山本伸一は、話を続けた。
「戸田先生は、よく『二十年間、その道一筋に歩んだ人は信用できるな』と言われた。
二十年といえば、誕生したばかりの子どもが成人になる歳月です。信仰も、二十年間の弛まざる精進があれば、想像もできないほどの境涯になります。
また、地域広布の様相も一変させることができる。
しかし、それには、人を頼むのではなく、『自分が立つしかない』と心を決め、日々、真剣に努力し、挑戦し抜いていくということが条件です。
ともかく、『何があっても二十年』──これを一つの合言葉として、勇敢に前進していこうではありませんか!」
さらに彼は、「目蓮尊者と申せし人は神通第一にてをはしき、四天下と申して日月のめぐり給うところをかみすぢ(髪筋)一すぢき(切)らざるにめぐり給いき、これは・いかなるゆへぞと・たづぬれば・せんじゃう(先生)に千里ありしところを・かよいて仏法を聴聞せしゆへなり……」(御書一二二三p)の御文を拝し、仏法で説く、生命の原因と結果の法則について語っていった。
釈尊十大弟子で神通第一といわれた木蓮連尊者は、瞬く間に全世界を巡られた。
それは、過去世に千里もあるところに通って、仏法を聴聞してきたからである──と、その根本要因を明かされています。
また、大聖人は、『人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる』(同九六〇p)など、悪因をつくれば、悪の報いを受けることを説かれている。
ましてや、正法誹謗という最大の悪因をつくれば、大苦の報いがある。
現在の自分の境遇は、決して、偶然ではない。経文に、『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』(同二三一p)とあるように、厳たる生命の因果律があります」
正法のために、尽くし抜いた報いは、必ず、限りない大功徳、大福運となる。この生命の因果を確信することから、仏法は始まる。