2012-01-08から1日間の記事一覧

小説「新・人間革命」 共戦 45 2012年 1月7日

人間は、三世にわたる生命の因果の理法に立脚して生きるならば、心の内に、おのずからモラルが確立され、善の王道を歩むことができよう。 当然、そこからは、人の不幸のうえに、自分の幸福を築こうという発想は出てこない。 今日、モラルの低下が指摘されて…

小説「新・人間革命」 共戦44 2012年 1月6日

山本伸一は、話を続けた。 「戸田先生は、よく『二十年間、その道一筋に歩んだ人は信用できるな』と言われた。 二十年といえば、誕生したばかりの子どもが成人になる歳月です。信仰も、二十年間の弛まざる精進があれば、想像もできないほどの境涯になります…

小説「新・人間革命」 共戦 43 2012年1月5日

五月二十日午後、晴天のもと、山口文化会館では開館記念勤行会が行われた。 勤行会で山本伸一は、二十年前の山口開拓指導に触れながら、懇談的に話を進めた。 「山口開拓指導は、戸田先生から、直接、指示を受け、私が指揮を執った戦いでした。 当時、山口県…

小説「新・人間革命」 共戦 42 2012年1月4日

山本伸一たちが、山口文化会館に戻ったのは、午後八時過ぎであった。 会館に入ると、中国各県の青年職員らが、荷物整理などの作業にあたっていた。伸一は、中国女子部長の本間三津代に尋ねた。 「山口県以外の人たちが大勢来ているが、どうしてなんだい」 「…

小説「新・人間革命」 共戦 41 2012年1月1日

初日の出 己が心も 初日の出 一九五三年(昭和二十八年)の元朝、山本伸一が詠んだ句である。彼は、燃えていた。 “さあ、戦い抜くぞ! いよいよ広布後継の大闘争の時代を迎えた。 戸田先生のお心を体して、慈折広宣流布大願成就への大きな流れを開き、先生に…

小説「新・人間革命」 共戦 39 2011年12月28日

山本伸一は、フランシスコ・ザビエルの書簡集を読んで、世界広布の道が、いかに険路であるかを痛感した。 権勢を誇るローマ教皇庁とポルトガル国家の後ろ盾がある、宣教師のザビエルでも、海外布教の苦闘は、すさまじいものがある。 当時、創価学会は、会員…

小説「新・人間革命」 共戦 38 2011年12月27日

日本での布教でザビエルは、創造主という神の概念を、いかにして伝えるかに悩んだ。 日本人信徒が、キリスト教で説く神の「デウス」を、真言宗の「大日」(大日如来)と訳したことから、ザビエルも、そう語っていった。 しかし、デウスと大日如来とでは、全…

小説「新・人間革命」 共戦 37 2011年12月26日

フランシスコ・ザビエルは、山口での滞在は一カ月余りで、京の都に出発する。 時は、まさに戦国の世である。彼らの旅は、盗賊の襲撃や、冬の寒苦に苛まれながらの、過酷な道のりであった。 しかも、たどり着いた京の町は、戦乱で激しく破壊されていた。 彼ら…

小説「新・人間革命」共戦 36 2011年12月24日

フランシスコ・ザビエルは、一五〇六年に現在のスペインに生まれ、パリ大学の聖バルバラ学院に学んだ。 二十八歳の時、イグナティウス・デ・ロヨラらと、モンマルトルの聖堂で、神に生涯を捧げる誓願を立てる。 ザビエルは、このロヨラらと、修道会「イエズ…

小説「新・人間革命」 共戦 35 2011年12月23日

学会の各県区において、世代交代は、大きな一つのテーマになっていた。山本伸一は、その模範となる伝統を、この山口県につくってほしかったのである。 伸一は、さらに語った。 「草創期に頑張ってこられた皆さんは、先輩たちから、厳しく叱咤激励されてきた…

小説「新・人間革命」 共戦 34 2011年12月22日

山本伸一は、未来を見すえるように、楽しそうに話を続けた。 「これから、県長などの幹部にも、草創期を戦い抜かれた皆さんより、十歳も、二十歳も若い人たちが登用されていくでしょう。 さらには、三十歳下、四十歳下の人が、各組織の中心者となっていく時…

小説「新・人間革命」 共戦 33 2011年12月21日

真実の幸福である絶対的幸福境涯を確立できるかどうかは、何によって決まるか。 ──経済力や社会的な地位によるのではない。学会における組織の役職のいかんでもない。 ひとえに、地道な、信心の積み重ねによって、生命を耕し、人間革命を成し遂げてきたかど…

小説「新・人間革命」 共戦 32 2011年12月20日

日蓮大聖人は、極寒に身を責められ、食べる物も、着る物も乏しく、命をも狙われていた流罪の地・佐渡にあって、門下に宛てた御手紙に、こう記されている。 「流人なれども喜悦はかりなし」(御書一三六〇ページ)――それが、仏の大境涯であり、「絶対的幸福」…

小説「新・人間革命」 共戦 31 2011年12月19日

日蓮大聖人は、「此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候」(御書一二四二ページ)と明言なさっている。 真の所願満足は、金銭や財産などを追い求めるなかにあるのではない。 欲望に振り回されることのない、少欲知足の心豊かな境涯が確立さ…

小説「新・人間革命」共戦 30 2011年12月17日

山本伸一は、決意を促すように、草創の同志を見つめながら、話を続けた。 「日蓮大聖人は、『須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき』(御書四六七ページ)と言われています。 つまり、一心に唱題と折伏に励み…

小説「新・人間革命」 共戦 29 2011年12月16日

草創の同志たちは、誓いを新たにしながら、山本伸一の言葉に耳を澄ましていた。 「学会員は皆、長年、信心してきた先輩たちが、どんな生き方をするのか、じっと見ています。 ゆえに、学会と仏法の、真実と正義を証明していくために、幹部だった人には、終生…

小説「新・人間革命」 共戦 28 2011年12月15日

山本伸一は、壮年たちに向かって言った。 「どうか壮年幹部の皆さんは、ご婦人への気遣い、配慮を、常に心がけていただきたい。 顔を合わせた時には、壮年の方から先に、『お世話になります』『いつも、本当にありがとうございます』と、丁重にあいさつする…

小説「新・人間革命」 共戦 27 2011年12月14日

山本伸一は、壮年部と婦人部の団結について語っていった。 「学会の活動を、最も推進してくださっているのは婦人部です。機関紙の配達員さんを見ても、圧倒的に婦人が多い。 したがって壮年は、婦人を尊敬し、ねぎらい、その意見を尊重することが大事です。 …

小説「新・人間革命」 共戦 26 2011年12月13日

直井美子は、裏表のない性格で、率直に、言うべきことはズバリと言う女性であった。 高校時代にはバレーボールの選手として、全国大会に出場したこともあり、活動的で明るく、面倒みもよかった。 一九七二年(昭和四十七年)、県婦人部長となり、山口全県が…

小説「新・人間革命」 共戦 25 2011年12月10日

山本伸一は、直井輝光に、青年には次代の社会を担い、新しい世紀を創る使命があることを、力を込めて語っていった。 「直井君。青年は、その日その日を、面白おかしく生きていればいいという考えではいけないよ。そんな人生は、結局は、むなしいものだ。 青…

小説「新・人間革命」 共戦 24 2011年12月9日

山本伸一は、懇談会で、山口県婦人部長の直井美子に視線を注いだ。 「確か、直井さんのご一家も、山口開拓指導の時に入会したんでしたね」 「はい。そうです。昭和三十一年(一九五六年)十月の最初の開拓指導で、義母をはじめ、一家で入会しました。 夫が本…

小説「新・人間革命」 共戦 23 2011年12月8日

美藤実は、幹部の言葉に、自分の心を見透かされている思いがした。 「うまい儲け話は、どこかに落とし穴があり、必ず失敗するものです。 ところが、そこに手を出してしくじり、借金を背負い込んでしまうと、なんとかしようと焦って、また、うまい儲け話にの…

小説「新・人間革命」 共戦 22 2011年12月7日

美藤実は、有力者の壮年に対する、山本伸一の確信にあふれた指導に魅了された。 「ひとたび信心をしたからには、あの確信、あの信念をもちたいものだ」と思った。 美藤は、翌日も、指導を求めて、朝一番で、伸一が宿舎にしていた旅館に行った。 伸一は、集っ…

小説「新・人間革命」 共戦 21 2011年12月6日

地域の有力者は、山本伸一の厳しい言葉にたじろぎ、あっけに取られたように、目をぱちくりさせていた。 伸一は、諄々と語り始めた。 「ここにおられる、同志の多くは、経済的に窮地に立ったり、病で苦しまれています。 しかし、その苦悩をいかに乗り越えてい…

小説「新・人間革命」 共戦 20 2011年12月5日

メガネをかけた老紳士が、立ち上がって山本伸一にあいさつした。 「防府の美藤実です。昭和三十二年(一九五七年)一月の山口開拓指導で、防府に来られた山本先生を、当時、三田尻駅といっていた防府駅まで、お迎えにまいりました」 「よく覚えています。と…

小説「新・人間革命」 共戦 19 2011年12月3日

山本伸一の話に、伊郷時子は?必ず、仏法で宿業を打開してみせる!?と奮い立った。 夫の忠治も、信心をしてみようと思った。 奮起した時子は、早速、三人の友人に声をかけ、山本伸一らが宿舎にしている旅館での座談会に連れて行った。 三人は、伸一の話を、…

小説「新・人間革命」 共戦 18 2011年12月2日

山内光元と妻の照子は、山口開拓指導で山本伸一から、広宣流布の使命に生き抜くことの大切さを学んだ。 労働運動の闘士であった光元は、広宣流布運動の闘士となり、下関の創価学会発展の中核となってきたのである。 山本伸一は、山口文化会館での懇談会で、…

小説「新・人間革命」 共戦 17 2011年12月1日

末法の衆生の機根は、本未有善(本と未だ善有らず)である。釈尊に縁がなく、成仏得道の種子が植えられていない。 そうした衆生をいかにして化導するか。 天台は、『法華文句』に「而強毒之」(而も強いて之を毒す)と述べている。 正法を聞くのを好まない者…

小説「新・人間革命」 共戦 16 2011年 11月30日

山口開拓指導に参加し、懸命に折伏に励みながら、相手を入会させることができずに悩んでいる同志のことを思うと、山本伸一は、胸が痛んでならなかった。 彼は力説した。「私たちは、必死になって仏法を語ったのに、相手が信心しないと、がっかりして、落ち込…

小説「新・人間革命」 共戦 15 2011年 11月29日

山本伸一は、仏法の法理のうえから、人間として生を受けた、尊い意味を訴えた。 山内光元は、悲観的にとらえていた宿命という問題の闇が払われる思いがした。 山口開拓指導には、全国の二十六支部から同志が派遣されていた。仙台など、東北から来た人もいる…