小説「新・人間革命」 共戦 45 2012年 1月7日

人間は、三世にわたる生命の因果の理法に立脚して生きるならば、心の内に、おのずからモラルが確立され、善の王道を歩むことができよう。
当然、そこからは、人の不幸のうえに、自分の幸福を築こうという発想は出てこない。
今日、モラルの低下が指摘されて久しく、いじめや迷惑行為、不正行為も、後を絶たない。
その防止のためには、法律などによる外からの規制の強化が必要な面もあろうが、より根本的な解決のためには、モラルの規範となる確たる法理を、人間の心に打ち立てることである。
つまり、人の目は、ごまかすことができたとしても、生命の因果律からは、誰人も、決して逃れることはできないという思想の確立こそが不可欠であり、喫緊の課題といってよい。
人間は、この法理のもとに、よき人生を築こうと努力するなかで、人格も磨かれていくのである。ゆえに、仏法者とは、輝ける人格の人でなければならない。
文豪トルストイは、「真の、真面目な生活とは、ただ、自覚された最高の法によって進むものだけである」(注=2面)と記している。
山本伸一は、仏法の因果の理法を確認したあと、信仰の意味について言及した。
「人それぞれの宿命があり、人生には、事業の失敗や病気など、さまざまな試練があります。
その烈風にさらされた時、ともすれば『もう駄目だ』とあきらめ、無気力になったり、自暴自棄になったりしてしまう。
そこに『不幸の習性」をつくりあげる罠がある。これが怖いんです。
信心というのは、その『不幸の習性」という鎖を断ち切る、不屈の挑戦の力なんです。
試練に直面した時に、『こんなことでは負けないぞ! 今こそ宿命を転換するんだ!』
と、敢然と挑み立つ勇気を湧かせていくための信仰であることを知ってください」
最後に伸一は、皆が、健康・長寿で、信仰の喜びを満喫した人生を送ってほしいと念願し、話を結んだのである。