小説「新・人間革命」 共戦 46 2012年 1月9日

山本伸一は、山口文化会館の開館記念勤行会のあと、山口大学の大学会メンバーとの懇談会に参加し、夕刻、車で外出した。
山口県の幹部から、地元の誇りでもある菜香亭を、一度、訪問してほしいと言われていたのである。
菜香亭は、明治の創業以来、百年以上の伝統をもつ料理屋である。
名づけ親の井上馨をはじめ、木戸孝允伊藤博文山県有朋といった明治の元勲も足跡をとどめている。
そして、ここの調理師の一人が、学会員であるというのだ。伸一は、その調理師の壮年を励ましたかった。
また、文化会館の管理者など、陰の力となって会館を支えてくれている人たちを慰労するため、菜香亭で一緒に食事をすることにしたのである。
菜香亭の建物は、明治初期の建築で、太い柱と高い天井が威風を放ち、磨き込まれた長い廊下が伝統の輝きを感じさせた。
部屋には、元勲らの書を収めた扁額があった。
伸一は、庭の青葉を眺めながら、この五月が、木戸孝允の没後百年であることを思い起こした。
木戸は、吉田松陰に師事し、師の志を継いで明治維新を成し遂げた一人である。
伸一の脳裏には、戸田城聖と、松陰について語り合ったことが、懐かしく蘇った。
戸田は、よく、「一人の松陰、死して、多くの松陰をつくったのだ」と語っていた。
松陰は、刑死の数日前、弟子たちへの手紙で、自分の死を悲しむなと訴え、「我れを知るは吾が志を張りて之れを大にするに如かざるなり」と記している。
私の心を知るということは、私と同じ志を掲げて、さらに、それを大きく実現していくことであると述べているのだ。
彼の弟子たちは、この師の期待を、裏切らなかった。
学会も、伸一をはじめとする弟子たちが、広宣流布という戸田城聖の志を受け継ぎ、実現してきたからこそ、大いなる発展があった。
伸一は今、自分の志を受け継ぐ真の弟子たちが、この山口の天地から陸続と育ってほしいと、心の底から思い、願うのであった。