小説「新・人間革命」 共戦 49 2012年 1月12日

山本伸一は、女将の大山ツネに尋ねた。
「子どもさんは、お一人ですか」
「はい。一人息子です。夫がおりませんもので、私が一人で育ててきました」
「ご苦労されたんですね。そのご苦労が報われ、努力した人が、必ず、幸せになれる道を教えているのが仏法なんです。
仏法は、幸福への航路を示す人生の羅針盤といえます。運命に翻弄されて、道に迷っていては損です。女将さんも、一緒に信心に励んで、幸せになりましょうよ」
女将は、「はい!」と言って頷いた。女性従業員も一緒に信心することになった。
大山ツネは、かつて、満州(現在の中国東北部)で、建築技師の夫と、幸せな家庭生活を送っていた。
一九三四年(昭和九年)には息子の寿郎も生まれ、未来は希望にあふれていた。
しかし、その翌年、突然、夫が「馬賊」と呼ばれていた略奪を繰り返す集団に拉致され、戻って来ることはなかった。
やむなく、三六年(同十一年)に息子と二人で彼女の故郷の山口県に引き揚げ、母子で暮らした。
身を粉にして働きに働いて、小料理屋を開き、苦労してためた金で旅館を買い取った。その喜びも束の間、旅館は、空襲で灰燼に帰してしまった。
戦後、苦闘の末に、旅館を再興し、女手一つで子どもを育てた。大学にも進ませ、いよいよ卒業という時になって、その息子の就職が決まらないのである。
彼女は、息子の就職もさることながら、苦労を重ねて、幸福をつかみかけると、決まって、砂が崩れるように消えてしまう、自身の運命に強い不安を感じていた。
人には、動じぬ素振りを見せてきたが、内心は、人生の変転に怯えていたのだ。
それだけに、「幸せになりましょうよ」という伸一の言葉が、心に突き刺さったのである。
人は皆、幸せになる権利をもっている。幸せになるために生まれてきたのだ。そして、それを実現するための信心なのだ。