小説「新・人間革命」 共戦 50 2012年 1月13日

入会を決意した大山ツネは、息子の寿郎にも入会を勧め、母子で共に信心を始めた。
寿郎は、それから一週間ほどして、鉄鋼会社に、就職が内定した。これが、大山親子にとって、初信の功徳となったのである。
山本伸一が二度目に「ちとせ旅館」を訪れた時、寿郎は、母親と一緒に伸一の部屋にあいさつに行った。
その時、伸一は、「常に、しっかり勉強していくんだよ」と語り、社会で勝利していくことの大切さを訴えた。
大山ツネは、一九七二年(昭和四十七年)に他界するまで、地域に深く根を張り、徳山広布の推進力となってきた。
伸一と初めて会って以来二十年、息子の寿郎は、既に結婚し、職場の第一人者となっていた。
彼は、東京本社に勤務していたが、会長の伸一が故郷の徳山を訪問すると聞いて、感謝の思いから、伸一を迎えようと、妻子と共に駆けつけてきたのである。
伸一は、徳山文化会館で出迎えてくれた人たちに言った。
「山口開拓指導で信心した人たちが、頑張っているのが嬉しいね。
これからも、地域広布の先駆けになってください。広宣流布の道は、身近なところから開いていくんです。
地域広布は、いつか誰かが、してくれるものではない。自分が立つ以外にありません。
私は、アパートに住んでいた時には、隣の方から仏法対話をしたし、山口開拓指導の時も、知り合った身近な人たちに、どんどん仏法を語っていきました。
常に、一人でも多くの人に仏縁を結ばせたいとの思いで、粘り強く、妙法を語り抜いてきました」
側にいた、県長の梅岡芳実が言った。
「先生の出られた座談会では、参加していた何人もの友人が、一同に入会を希望したとの話を、よく伺います」
「そういうこともあったが、折伏は、そんなに簡単なものじゃないよ。反発して怒鳴りだしたりする人もいた。でも、誠実を尽くして語れば、その言葉は心に残ります」