小説「新・人間革命」 薫風5 012年 2月2日

戸田城聖が出席した最後の大行事となった、一九五八年(昭和三十三年)三月十六日の広宣流布記念の式典で司会を務めたのも、山本伸一であった。
当初、式典には、戸田の友人である、時の総理大臣も出席する予定であった。
集った六千人の参加者は、日本の未来を担う柱である創価青年の心意気を見せようと、張り切っていた。
しかし、直前になって、総理の出席はなくなり、名代として、夫人や娘婿らが出席することになったのである。
戸田は、総理の出欠のいかんにかかわらず、この日の式典を、広宣流布の一切を青年たちに託す儀式にしようと考えていた。
その戸田の心を知る伸一は、皆の落胆を吹き払い、地涌の菩薩が末法広宣流布を誓う、あの久遠の契りを呼び覚ます思いで、司会の第一声を放ったのである。
自身の一声で、六千人の心を奮い立たせることができるか──真剣勝負の一瞬だった。
そして、この日の式典は、師匠・戸田城聖から、広布後継の印綬の旗を譲り受ける、荘厳なる儀式となったのである。
伸一は、自身の懐かしい思い出の糸を紡ぎながら、九州の青年たちに語っていった。
「まず、司会者にとって、最も重要なのは、声の響きです。
さわやかで、力強く、満々たる生命力に満ちあふれていなければならない。その声で、時には軽やかに、時には厳粛に、皆の心をリードしていくんです。
さらに、言葉は明瞭で大きく、誰もが、よく聞き取れなければならない。また、顔色にも注意が必要です。疲れ切ったような、青白い顔ではいけません。
したがって、司会という大任を受けたならば、前夜は、よく睡眠を取り、当日は、しっかり唱題し、ちゃんと食事をして臨むことです。
そして、司会席に着いたならば、姿勢にも気を配らなければならない。背筋は、きちんと伸ばすんです」
伸一の話は、精神に始まり、具体的な事柄に及んでいった。具体性を欠いた指導は、実践に結び付かずに終わってしまうからだ。