小説「新・人間革命」 薫風 39 2012年 3月14日

佐賀県に限らず、大手企業などの少ない県も多い。
そのような地域では、就職先も限られるため、役所や学校など、地方公務員の採用試験も、極めて難関となる。
そうしたなかにあって、故郷に帰って来た創価大学の学生部出身者たちは、懸命に努力し、県内で就職を勝ち取ったのである。
そのメンバーに共通しているのは、地域に貢献し、両親や地元の同志に、喜んでもらいたいとの、強い一念であった。
彼らは、東京の創価大学に行かせてもらったことに、両親をはじめ、家族に、深い感謝の思いをいだいていた。
彼らの家庭の多くが、経済的には裕福とはいえなかった。
たとえば、寺津克彦の父は、彼の幼少期には、銀行に勤めていたが、職場で起きた不祥事の巻き添えをくい、自ら退職の道を選んだ。
生真面目な父親にとっては、心外な出来事であった。人生に失望し、荒れた生活を重ねた末に、学会に入会したのである。
その後、さまざまな職に就いたが、父の収入だけでは、子ども四人がいる一家を支えることは難しかった。
母が小学校の教員を続け、共働きで、子どもを育てた。
克彦は長男で、中学生のころから、真剣に信心に励み、学会の庭で育ってきた。
両親は、彼の「山本先生の創られた大学で学びたい」という願いを聞き入れ、生活費を切り詰め、入学金等を用意してくれたのである。
三人の妹たちの進学もあり、克彦を東京の大学に行かせることは、容易ではなかったはずである。
しかし、創価大学に合格すると、父も、母も大喜びし、「山本先生のもとで、しっかり頑張ってこんね!」と言って、笑顔で送り出してくれたのだ。
また、学会の会合でも、彼の創大合格が伝えられ、温かい祝福の拍手を浴びた。
ある婦人部員は、目を潤ませながら、「あなたは、佐賀の誇りやけん。何があっても頑張らんね!」と言って励ましてくれた。
家族の、そして、同志の真心を、胸にいだいての東京行きであった。