小説「新・人間革命」 薫風 40 2012年 3月15日

杉瀬茂の家は、父親が病弱で、母親が野菜の行商をして四人の子どもを育てた。
杉瀬も高等部時代から『山本先生が創立される創価大学へ絶対に行こう』と決意していた。
母の仕事は、少しずつ軌道に乗り、やがて小さな店をもち、野菜や果物を大きな病院にも納めるようになっていった。
それでも、東京の大学に息子を行かせるのは、並大抵のことではない。
しかし、母は、彼が創価大学に合格すると、金銭のことは、何も言わずに、喜んで送り出してくれた。
大学に行くことができなかった、青年部のある先輩は、杉瀬をこう励ました。
「君には、大きな使命があるんだ。創価大学で、ぼくらの分まで勉強してきてほしい。
また、山本先生がいらっしゃる学会の本陣・東京で、しっかり、信心を磨くんだ。
そして、何か困った問題があったら、必ず連絡するんだよ。すぐに飛んで行くから」
寺津克彦も、杉瀬も、入学後は、勉学、学生部の活動のほか、アルバイトをして懸命に働いた。
杉瀬の場合、家庭教師をはじめ、マーケティングリサーチ(市場調査)、テレビドラマのエキストラ、印刷会社、建築工事現場の手伝いなど、なんでもした。
体が、へとへとになることも少なくなかった。
それでも、『山本先生が創立した創価大学で、一期生として学べるんだ』という誇りと喜びが、向学心を燃え立たせた。
東京での暮らしを心配し、しばしば、激励の手紙をくれる先輩もいた。
杉瀬の母親は、『ご飯は、満足に食べているだろうか』と心を砕き、大量の野菜を送ってくれた。
『自分は、一人じゃないんだ。みんなが応援してくれているんだ』と思うと、元気が出た。
精神の孤立は人間を弱くする。だが、魂の連帯は、人間の無限の活力を引き出す。
寺津と杉瀬は、よく、「あとに続く佐賀の後輩たちの、模範となるような生き方ばしよう!」と語り合ってきた。
やがて、創価大学の三春秋が瞬く間に過ぎ、就職活動の季節が訪れた。