小説「新・人間革命」 薫風43 2012年 3月19日

酒田英吉は、山本伸一の指導を胸に刻み、佐賀県広宣流布に勇み、走った。
一九五五年(昭和三十年)の秋、彼は男子部の班長の任命を受けるため、東京・豊島公会堂での男子部幹部会に出席した。
あとの生活のことなど、何も考えず、苦労して旅費を工面して、躍る心で東京に来たのだ。
幹部会終了後、彼は、思いがけず伸一に会うことができた。
酒田は、組織の近況を報告した。伸一は、彼の話を頷きながら聞いていたが、最後に、こう尋ねた。
「旅費は、大丈夫だったのかい。帰ってからの生活費はあるのかい」
酒田は、口ごもって、頭をかいた。
伸一は、無謀ともいうべき酒田の行動に苦笑しつつも、彼の、その一途さを大切にしたかった。
「片道の燃料だけで出撃する、特攻隊みたいじゃないか。しょうがないな。
よし、帰りの汽車賃は、ぼくがなんとかしてあげよう」
伸一も、決して余裕のある暮らしをしているわけではない。しかし、求道心に燃えて、わざわざ九州から来た青年を、なんとしても応援したかったのである。
放っておけなくなってしまうのが、彼の性分であった。
その夜、酒田は、感動に胸が高鳴り、なかなか寝付けなかった。
〝山本室長は、こんな自分のことを心配し、身銭を切って、旅費を負担してくださった。本当に申し訳ない……。自分に大きな期待をかけてくださっているんだ。頑張ろう。頑張り抜いて、室長の期待にお応えしよう〟
伸一の慈愛に、熱い涙があふれた。
酒田は、片道の旅費を出してくれた伸一の行為の奥にある、後輩を思う真心に感動を覚えたのだ。彼は、奮い立った。そして、強く心に誓った。
〝自分も、後輩たちを、深い真心で包める、山本室長のようなリーダーに育とう〟
人に発心を促すのは、権威ではない。心に染み入る、誠実の振る舞いなのだ。