第1回 「大人になる」とは(2012.1.9/10/11) ㊤

未来はすべて青年のものです
 
大きな願いを立てればそれだけ大きな人生が開けていく
 
 ──今、全国で続々と青年が入会しています。
 池田先生のお誕生日である1月2日も、各地で入会記念勤行会が行われ、多くの若き地涌の友が、創価家族の温かな祝福に包まれました。
 
池田名誉会長 うれしいね! 本当にうれしい! 青年部の奮闘の様子も、新入会の皆さん方の決意も、よく伺っています。
 日本中、世界中で、青年がぐんぐん伸び、スクラムを広げゆく素晴らしい時代が到来しました。
 今年は、ロンドンでオリンピックが開催されます。英国そして欧州の青年の前進も目覚ましい。
 近代オリンピックの創設者クーベルタンは、「人間の春は、若々しく成長した人の中に表現される」と語りました。
 学会は今、希望が躍動する「青年の時代」「人材の春」を迎えています。
 人材を見つけ、育てる。その労作業こそが、広宣流布という社会を変革しゆく偉大な民衆運動、世界的な平和運動の原動力です。
 だから、先輩は全力を挙げて、新しい友を一人ももれなく大人材に育ててください。心と心が通じ合い、何でも話し合える本当の同志として、共々に希望に燃えて進んでいただきたい。
 私も、皆さんのためなら何でもします。青年たちのために、語り残しておきたいことが、まだまだ、たくさんあります。
 
 ──ありがとうございます。新入会の友が、信心できた歓喜を胸に、さっそく弘教や教学に挑戦している頼もしい様子も、報告されています。
 また、昨年の創価青年大会などを通じて、これまで活動に参加できなかったメンバーも、次々と立ち上がっています。
 
名誉会長 新入会の友は、さまざまな悩みを乗り越えよう、大いに成長しようと、新たな決意で、この信心を始めました。
 法華経には、「若し法を聞くこと有らば 一《ひと》りとして成仏せざること無けん」と説かれています。
 すべての新入会の友が、初信の功徳を実感し、信心を始めてよかったと思えるように、そして成仏という絶対の幸福境涯ヘ一歩一歩、着実に前進できるよう、先輩の皆さんは真心からの励まし、アドバイスをお願いします。
 すぐには思うようにいかないこともあるでしょう。「焦らないで、いいんだよ」と、温かく声をかけていただきたい。あの大文豪ゲーテも、「いいものができるには時間がかかるよ」と記しています。
 とりわけ、家族が未入会の友には、こまやかに心を砕いて差し上げたい。私も入信したばかりの時、父が信心に反対でした。父と私の間に立って、母が苦心してくれたことを思い出します。
 家族と信心のことでケンカになったり、つらい思いをしたりしないよう、親身になって相談に乗っていただきたい。
          ☆
 ──以前、池田先生が一人の新入会の学生からの報告に対して、「素晴らしい仏法だから、安心してやっていきなさい。親孝行して、お父さん、お母さんに喜んでもらえるようになってね」と伝言してくださったことがありました。その学生は今、社会で立派に活躍し、ご両親も喜ばれています。
 
名誉会長 御書に「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(1174㌻)とあるように、仏法は「人の振る舞い」を教えています。親孝行こそ、最も基本の「人の振る舞い」です。
 大切なのは、まず自ら人間革命することです。自身が成長することです。そして、ご家族を安心させてあげることです。必ず分かってくれる日が来ます。
 日蓮大聖人は、「法華経を持《たも》つ人は父と母との恩を報ずるなり」(御書1528㌻)とも仰せです。家族の絆は、この信心を通し、未来永遠に強めていけるのです。
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 ──きょうは「成人の日」です。今年は、全国で122万人が大人の仲間入りをします。学会でも各地の会館で、新成人の集いが行われます。
 また、今回は先生のご提案で、カナダ・トロン卜近郊のカレドン教育文化センターに「新成人の木」として、大地に根を張って伸びる「白樺の木」を植樹していただいたことに、大きな喜びが広がっています。
 
名誉会長 苦労した人が、最後は勝利します。青年には、どんな苦難にも負けないでほしいと願って植樹したものです。
 成人の日は、新成人だけでなく、青年にとって「大人になる」とは、どういうことかをあらためて考える、いい機会です。
 20歳《はたち》になれば、自動的に「大人になる」というわけではありません(笑い)。他人や社会との関わりにも、責任が伴います。
 悪逆なナチスから、子どもたちを守るために、命をかけて戦ったポーランドの大教育者コルチャック先生も「成熟した大人とは、何のために生き、人々とどのように関わり、また、人類の歴史にどのように関わるのかということを知っており、そして、そのことに依拠して行動する人である」と明言している。
 要は一人の人間として、いかなる信念と哲学を持ち、いかなる行動をしていくかでしょう。
 激動の時代であり、変化が求められる時代です。大人たちの社会も、青年の正義感を信じ、青年の行動力を引き出していく社会に変わらねばなりません。
 青年を子ども扱いし、「近頃の若者は」などと見下す大人はずるい。私は断固、青年を信じます。
 未来は青年のものです。青年で決まります。だから私は青年に期待し、一個の人格として最大の敬意を払って接してきました。そして「早く生い立て」と願い、毎日、妻と共に祈り抜いています。青年部の皆さんのお父さん、お母さん方も、同じ気持ちだと思う。
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 ──最近は「大人」が一つのキーワードです。『大人の流儀』というベストセラーもあります。
 「大人になる」ということは、仏法の視点から見ると、どのように捉えられるでしょうか。
 
名誉会長 大聖人は、満20歳の南条時光に、こう呼びかけられました。
 「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(同1561㌻)と。
 熱原の法難という、入信間もない農民信徒たちが迫害された大難の渦中、大聖人が信頼し、奮闘に期待を寄せられたのは勇敢な青年でした。
 私の恩師・戸田城聖先生も、よく「南条時光を見習っていけ」と言われました。
 時光は今で言えば学会2世です。亡くなった父の信仰を受け継ぎ、16歳で、自ら駿河国(現在の静岡県中央部)から身延の大聖人のもとへ馳せ参じています。
 自発求道の青年でした。心に誓いが燃えていました。可愛い弟の不慮の死去に際しても、悲しみの母を支えました。自身の大病も厳然と乗り越え、仏法への確信を深めています。そして、日興上人と共に地域の中心的存在として、一生涯、戦い抜きました。
 私が時光を偉いと思うのは、彼は少年時代の誓いを、大人になっても忘れなかった。そして、迫害に立ち向かい、矢面に立って、同志を守り、師匠をお守りし抜いたことです。
 逆説的な言い方になるかもしれないが、若き日の誓いを、生涯、忘れなかったからこそ、信念の「大人」になったとも言える。ここに、大聖人が示された「大願」に生き抜く人生の強さがあり、深さがあります。
 大きな願いを立てるということは、それだけ大きな人生が開けるということです。広宣流布は、人類を幸福にし、世界を永遠に平和にしていこうとする、究極の大願なのです。
 
クーベルタンの言葉はカール・ディーム編・大島鎌吉訳『オリンピックの回想』(ベースボール・マガジン社)。ゲーテ山下肇訳『ゲーテ全集』第6巻(人文書院)。コルチャックは塚本智宏著『子どもの権利の尊重』(子どもの未来社)、引用にあたり傍点を省略した。
 
さあ、戦いを開始しよう!
 
皆さんに絶望はない。なぜなら、青年自身が希望そのものだから
 
 
 ──池田先生から、素晴らしい詩「希望は人生の宝なり」を頂き、大感動の声が寄せられています。
 「希望」こそ、最も身近で、最も大切な宝であることに、あらためて気づかせていただきました。
 
名誉会長 「青春」の異名は「希望」です。希望と共に生きる限り、人間は永遠に若い。
 関西出身の歌人与謝野晶子は綴りました。
 「『若さ』は尊い、怖ろしい。新しい奇蹟を沢山に生む力だ。孔子が『後生畏るべし』と云ったのは『若さ』に対する畏敬驚歎《いけいきょうたん》に外ならない」
 「大人になっても此の『若さ』を保有している人達にのみ、いつまでも新しい生活がある」と。
 この「若さ」とは、そのまま「希望」と言い換えてもいいでしょう。
 正しい信仰とは、何歳になろうとも、また、いかなる状況にあろうとも、わが心に赫々と「希望の太陽」を昇らせていける無窮の力です。
 ゆえに、若くして信仰を持った皆さんには、絶対に絶望などない。皆さん自身が、永遠に希望の当体だからです。
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 ──今、社会全体が不景気で、雇用の問題も深刻です。若者には、希望の持ちにくい時代です。
 
名誉会長 青年を大切にし、青年が希望を持てるように、社会をあげて応援していかなければ、未来はありません。
 そのうえで、申し上げたいことは、社会が暗いからこそ、青年はいよいよ希望を光らせてほしいということです。
 たしかに就職をとってみても、希望通りのコースへ進める人は少ないでしょう。
 ただ見方を変えれば、いつの時代でも、最初から自分の「やりたい仕事」ができるなどということは、ほとんどあり得ない。皆、「やらねばならない仕事」から始めるのです。そこで、うんと苦労し、歯を食いしばって努力する以外にない。すべてが勉強です。
 その悪戦苦闘の中で、自分を鍛え、大地を破って伸びる若竹のように、希望に向かい、たくましく突き進んでいく。そして、人のため、社会のため、「自分でなければできない使命」を忍耐強く果たしていくのです。
 ともあれ、若き日の希望を実現しよう、誓いを貫こうと決めたならば、幾多の困難と戦わねばなりません。だから「大人になる」とは、「戦いを開始すること」です。
 失敗したら、また次の希望を持てばよい。それも戦いです。へこたれずに戦い抜く人が偉大な人です。戦い続ける人こそが勝利の人なのです。
 日蓮大聖人が、20歳の南条時光へ「大願ををこせ」(同1561㌻)と仰せになられたのも、「戦いを起こせ」ということと拝されます。
 時光は、地頭という鎌倉幕府に仕える立場にありました。大聖人の門下として行動を貫けば、迫害を受けることは間違いありません。そうしたことをすべて御存じのうえで、大聖人は、あえて強く励まされているのです。
 大変な状況にもかかわらず、若き愛弟子は必ず立ち上がると信じてくださっている。これが御本仏の御心です。厳愛です。法華経の兵法をもって戦えば、必ず一切を変毒為薬して勝てるからです。
 時光も、大聖人の仰せの通りに戦い、立派に自分の使命を果たしました。