第1回 「大人になる」とは(2012.1.9/10/11) ㊦

 ──広宣流布という「大願」と、自身の希望との関係は、どう捉えられるでしょうか。
 
名誉会長 青年が、今、どんな希望を抱いて戦っていくのかで、未来は決まります。
 「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(同231㌻)です。
 戸田先生は「青年は望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ。この人生で実現できるのは自分の考えの何分の一かだ。初めから望みが小さいようでは何もできないで終わる」と言われました。ですから、自分らしく伸び伸びと希望を広げてください。
 そもそも、恩師ご自身が、大いなる希望に生き切られたからこそ、あの偉大な戸田先生になったのだと私は思います。
 恩師は20歳の時の日記に、「国家の人材」「世界の指導者」としての大任を授かるように、心身を鍛錬し、その大任を果たせるように自己を磨かずにはおかないとの決意を記されています。そして「今日の人のそしり、笑い、眼中になし。最後の目的を達せんのみ」と。牧口先生と師弟の出会いを刻んで間もなくのことです。
 どんな時にも、希望を満々と漲らせた先生でした。そして、誰よりも努力された先生でした。
 大いなる希望があれば、どんな苦労も耐えられる。どんな努力も惜しくありません。自分の胸中にあって、自分を励まし続けてくれる宝、それが希望です。
 戸田先生は、牧口先生の弟子として広宣流布の大願に生き抜くことを決められました。その時、それまでの苦労も全部、生きてきたと言われています。そして、民衆に限りない希望と勇気を送っていかれたのです。
 私たちには「絶対勝利の信心」があります。この信心を根本に、広宣流布という平和と全人類の幸福を目指す「大願」に向かって進む時、自分の希望も必ず叶う。
 たとえ、願った通りにならなかった場合でも、その人にとって一番いい方向に進むことができるのです。長い目で見れば、それを必ず確信できます。
 
 ※与謝野晶子の言葉は『与謝野晶子全集』第13巻(文泉堂出版)、現代表記に改めた。
 
正義の批判力を手放すな!
 
私は今も、戸田先生と毎日、心で対話しています
 
 ──最近、若いメンバーと語り合った時に、「世の中を見ていると、尊敬できる大人、かっこいいと思える大人がいません」、反対に「あんな大人にはなりたくないと思えてしまう人が多い」と言っていました。
 
名誉会長  「大人」とは「大人《たいじん》」とも読みます。「大人《たいじん》」といった場合、徳の高い立派な大人物を指します。
 お隣の中国では古来、「大人《たいじん》は己《おのれ》なし」と言って、私利私欲のためではなく、人のため、世のために、自分自身をなげうって戦うリーダーこそが人々に尊敬されてきました。
 口先ではうまいことを言っても、結局、自分の保身しか考えていない、エゴの大人は鋭く見破られてしまう。
 青年は、正義の批判力を手放してはならない。
 青年は「悪い大人」に絶対、だまされてはいけません。
 そして、自分自身を、大海の如く、天空の如く、心広々とした「大人《たいじん》」へと創り上げていくのです。
 かつての戦争では、過った為政者たちによって、青年たちが犠牲にされました。わが家も、4人の兄が次々と戦争にとられ、長兄は戦死です。
 子どもは、お国のために死ぬことが誉れであり幸福であると教え込まれた。そんな狂った時代に、二度としてはならない。
 戦争が終わった時、私は17歳でした。私もまた、大人への失望がありました。きのうまで戦争遂行を叫んでいた人たちが、次の日から平和主義者に変わっていた。誰も何も信用できなかった。良書だけは、嘘をつかないと思い、むさぼるように読みました。
 いかに生きるか──私は、正しい人生とその手本を真剣に求めました。その中で友人に誘われた学会の座談会で出会ったのが、戸田先生でした。
 偉ぶったところは全くありませんでした。しかし、まさしく人間王者の風格がありました。
 軍部政府と戦って2年間、投獄されてもなお、信念を貫き通されたことも知りました。
 何とすごい方なのだろう! この人についていこう──あの時、私は19歳。成人を目前にして私の人生は決まりました。私はあの日から「大願」を起こし、「戦い」を起こしたのです。今年で、65年になります。
          ☆
 ──「哲学なき時代」「手本なき時代」と言われる中で、人生を開く力ある哲学、手本となるべき師と人生を求めて新たに入会してきたメンバーが、たくさんいます。
 
 名誉会長 尊い心です。人生も、仏法も、「求める心」で決まる。
 私たちが勤行で毎日読誦している如来寿量品に、「一心欲見仏 不自惜身命」(一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず)という経文があります。
 日蓮大聖人は、この「一心欲見仏」を「一心に仏を見る」、さらに「心を一《いつ》にして仏を見る」、そして「一心を見れば仏なり」と、三重に読み直されています(御書892㌻)。
 一心に仏を求め抜いていく。心を定めて、広宣流布の大願のために戦い抜いていく。その「不自惜身命」の心こそ、実は仏そのものなのであると、示してくださっているのです。
 私は今も、戸田先生を求め続けています。毎日、心で対話をしています。そして常に一緒に、世界広宣流布の指揮を厳然と、また悠然と執っています。ゆえに、何も恐れるものはありません。
 創価学会は、大聖人の仰せ通り、恩師の大願のままに築き上げてきた人間の大連帯です。
 無名の庶民の中に、どれほど偉大な人物が光っていることか。皆、悪口を言われながら、わが身を惜しまず、友のため、地域のために尽くしてこられた。何の見返りも求めず、「広宣流布」「立正安国」の理想に向かって行動し抜いておられる。
 東北の被災地では、厳寒のなか、きょうも、復興のために献身される同志たちがいます。
 皆さん方の父母、祖父母たちこそ、法華経に説かれる地涌の大菩薩であり、最敬礼して仰ぐべき尊極の仏なのです。
 フランスの哲学者ルソーは綴りました。
 「わたしたちは、いわば、二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために」
 悔いなき最高の人生を生き切るために、青年は創価の人間群を誇りとしながら、どこまでも自分らしく、強く朗らかに前進していっていただきたい。
 インド独立の父マハトマ・ガンジーは「決して希望を失わない者のみが指導者になることができる」と言った。
 愛する君たちが21世紀の人類へ希望の光を贈りゆく、偉大な人間指導者に育つことこそが、私の最大の希望なのです。
 
 ※ルソーの言葉は今野一雄訳『エミール』(岩波文庫)。