【第2回】 悩みと向き合う   (2012.2.15/16/17) ㊤

苦悩は歓喜に変えられる
 
恩師の大闘争を思えばそんな苦難にも耐えられる。断じて勝ち越えてみせる
 
 ──先月、掲載された第1回の「若き君へ」には、全国の多くの読者から反響が寄せられました。青年の世代はもちろん、壮年・婦人の方々にも、大きな喜びと感動が広がっています。
 ある男子部員は「池田先生が私自身に語りかけてくれているように思い、感動しました」と綴っていました。
 一人の女子部員からは「家族のことで悩んでいますが、まずは自分自身が成長することの大切さを教えてくださったのだと感じました。きょうから、ここから、私らしく前進していこうと決意ができました」と声が寄せられています。
 
名誉会長 皆さんが喜んでくれ、私もうれしい。
 青年の喜びこそ、私の最大の喜びです。
 私は幸福にも、青春時代、毎日毎朝のように、恩師・戸田城聖先生から直々に薫陶を頂くことができました。「戸田大学」での一対一の真剣勝負の訓練です。
 できることならば、私も一人一人の青年と直接会って、皆の声に耳を傾け、語り合いたい。一緒に学び合っていきたい。そうした思いを込めて、私は日々、小説『新・人間革命』等を執筆しておりますし、この連載にも臨んでいます。
 
 ──読者から寄せられたメールには、仕事や職場の人間関係、自身の病気や家族の問題など、さまざまな悩みに直面しながらも、池田先生の励ましを胸に、信心根本に前進する決意が数多く綴られています。そこで、今回は「悩みと向き合う」とのテーマでお話を伺えればと思います。
 
名誉会長 青春は、誰もが悩みとの戦いです。悩みのない青年など、いない。なかんずく、大いなる希望と使命に生きる魂には、苦悩も大きい。
 悩むことは、強い向上心と責任感の表れです。人間の能力の一つともいえる。人のため、未来のために悩むのは、人間にしかできません。
 私が対談した大歴史学者のトインビー博士も「悩みを通して智は来《きた》る」という古代ギリシャ箴言を、大切にされていました。悩んでこそ、偉大な智慧が光る。
 そもそも仏も、衆生のために「悩む人」です。
 私たちの勤行の「自我偈」の結びには、「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身』とあります。簡潔に言えば、仏は常に、いかにして衆生を無上の道に入らせ、速やかに成仏させるかを、念じ続けているという意義になる。
 どうすれば人々を救えるか。幸福にできるか。悩んで智慧を尽くし、行動を貫くのが「仏」です。
 
 ──今は、悩みを避けたい、また、真剣に悩む姿を見せるのは、カッコ悪いと考えるような風潮もあります。
 
名誉会長 それは誰だって、よけいな苦労はしたくない。好きこのんで悩む人はいません。
 ただ、苦労もなく、悩みもなければ、それで幸せか。そうではないでしょう。幸福の実体は、生命の充実です。その本当の充実感とは、悩みに立ち向かい、苦労して勝ち越えていくなかでこそ、得られる。この喜びは、皆が大なり小なり実感しているはずです。
 飛行機だって、翼に強い「向かい風」を受けることで、揚力という力を得て飛翔できる。若き日の苦難の烈風は、わが人生を大きく飛翔させてくれる力です。
 人生には、想像も絶する試練の嵐が襲いかかることがあります。しかし、真っすぐに向き合う勇気があれば、断じて乗り越えられる。その究極の勇気が、信仰です。
 戸田先生は、『巌窟王』の物語(『モンテークリスト伯』)を青年たちに読ませながら、勇気の真髄を教えてくださった。
 嫉妬の悪人たちに陥れられ、無実の罪で牢獄に囚われた青年エドモン・ダンテスの心の動きを通して、先生は言われました。
 「最初は、いつ牢獄から出られるかを問題にして、あくせくしていたが、やがて、一生出られないと分かってきた。
 難を受け、牢獄に入った場合、たとえ出られなくともかまわない。一生涯、戦い通してみせると、死ぬまで覚悟することだ。そうすれば強い。必ず勝っていくのだ」
 これは、戦争中、軍部政府による投獄を、牧口先生にお供して耐え抜いた、戸田先生ご自身の信念でした。この恩師の大闘争を思えば、どんな苦難にも耐えられるし、勝ち越えられないわけがないと、私は一念を定めてきました。
 悩みがあることは、カッコ悪いことではない。むしろ悩みと向き合うことは、人間として誇り高いことです。ゆえに悩みを隠したり、取り繕ったりする必要はありません。青年に見栄などいらない。ありのままでいいんです。
 
 ──悩んでいるとネクラ(根が暗い)などと言われたりします。
 
名誉会長 だったら、明るく朗らかに悩めばいいんだよ(笑い)。
 私も青年時代、体が弱かった。貧しかった。時代は荒れ、悩みは尽きなかった。ただ私は、悲観や感傷には決して流されたくありませんでした。
 何があっても、希望に燃えて朗らかに! 悩みがあればあるほど、歯を食いしばりながらも、笑顔で前進する──これが変毒為薬の妙法を持《たも》つ青年の特権です。
 戸田先生は、事業が最悪の苦境に陥った時も、悠然と言われた。
 「私は、かりに地獄に堕ちても平気だよ。なぜならば、地獄の衆生折伏して、寂光土に変えてみせるからだ。信心とは、この確信だよ」
 私は、この師子王に鍛えられました。だから何も恐れません。
          ☆
 ──若き池田先生が、戸田先生から「人生は悩まねばならぬ。悩んではじめて信心もわかる、偉大な人になるのだ」と励まされたことは、小説『人間革命』第10巻で学びました。昭和31年の「大阪の戦い」の直前のことでした。
 
名誉会長 その通りです。
 あの戦いは、誰もが勝利は不可能と見ていました。しかし、絶対に負けるわけにはいかない。私は一人、深い苦悩に身をさらしていました。その私の悩みを、師匠は全部、ご存じでした。
 私は、悩んで悩んで、悩み抜きました。戸田先生の構想を実現するために、広宣流布の前進のために、愛する関西の友の幸福のために──何ができるのか。先生だったら今、どうされるのか。
 祈りに祈り、一歩も退かず戦い抜いた。そして関西の同志と共に勝った。
 「まさかが実現」です。それはそれは、壮絶な戦いだった。しかし、あれだけ悩んで戦い抜いたからこそ、病弱な私の生命から生き抜く力、勝ち抜く力を湧き立たせることができたともいえる。
 御義口伝には、「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」(御書790ページ)とあります。
 広布のために真剣に悩むことによって、わが身から仏の大生命力を出すことができるのです。
          ☆
 ──仏法では「煩悩即菩提」と説かれますね。
 
名誉会長 日蓮大聖人は「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火《えか》現前するなり」(同710ページ)と仰せです。
 「煩悩」とは悩みの根源であり、「菩提」とは悟りのことです。悩みを消し去るのではなくて、逆にそれを「燃料」として燃やすことで悟りの智慧の炎が現れる。
 大きな悩みが、自分を大きく成長させるのです。また、悩みがあるから、同じように苦しむ人の気持ちが分かる。その人たちのために、尽くしていくこともできる。
 煩悩「即」菩提の「即」は、単純な「イコール」ではない。
 「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(同732ページ)と示されている通り、「即」の一字は変革の原理です。
 御本尊に強盛に題目を唱え、広布のために粘り強く行動していく時、一切の苦悩は自身を荘厳する財宝に変わる。悩みが深ければ深いほど、苦悩に沈む友の心を照らす希望の光源となるのです。
 女子部国際部の優秀なリーダーたちが、自ら翻訳して届けてくれた手作りの箴言集に、アメリカの詩人フランシス・ハーパーの一節が記されていました。
 「暗闇の先には光がある。現在の苦悩を越えたところに歓喜がある」
 私たちの信心は、あらゆる「苦悩」を「歓喜」へ、「マイナス」を「プラス」へと転じゆく無限の力を持っている。どんな悩みであっても、唱えた題目は、すべて、自身の福運となる。そして自分が成長し、光った分だけ、広宣流布は進むのです。