【第2回】 悩みと向き合う   (2012.2.15/16/17) ㊥

学べ! 学べ! 苦闘の中からも
 
心を変えるのは心です。自分が変われば、相手も必ず変わります
 
 ──東日本大震災より、まもなく1年になります。被災地では、青年たちがさまざまな困難や悩みを抱えながら一歩一歩、復興の先頭に立って奮闘しています。
 
名誉会長 よく、伺っています。本当に尊いことです。
 私は毎日、亡くなられた方々の追善回向を懇ろに行わせていただいております。とともに、被災された皆様、復興支援に汗する方々の健康幸福、無事安穏、そして、前進勝利を祈っています。
 日本は、国全体の行き詰まりが指摘されて久しい。では、それを転じゆく力は、どこにあるか?
 その底力は、我らの東北にある! 「負げでたまっか」と立ち上がる一人一人の「人間革命」が、絶望から希望へ、苦悩から歓喜へ、一家を、地域を、一国を、未来を変えていく。それこそ、東北健児のスクラムです。
 「恐れや悲観にわれわれの希望を挫かせてはならぬ、われわれの勇気をそがせてはならぬ」
 これは、牧口先生の友人であった、東北出身の世界市民新渡戸稲造博士の心意気でした。
 今、東北青年部の不屈の貢献に、日本の識者からも、世界の知性からも、深い賞讃の声が寄せられ始めています。
 やがて日本全国、いな全世界が、東北の友に感謝の大喝采を捧げる日がやってくるでしょう。
 「広宣流布の総仕上げは東北健児の手で!」とは、私の願いであり、決意であり、確信です。
 しかし激闘が続けば、疲れ果てることもある。体調が良くない時や気持ちが沈む時だってあるでしょう。今日できなかったことは、明日の元気な自分に託して、休める時は上手に休むことです。
 戦いは長い。焦ることはありません。価値的に行動することです。時には、ゆったりと大空を仰ぎ、大きく深呼吸をしてもらいたい。また良き友と互いの健闘を労《ねぎら》い、讃え合い、守り合うことです。
 苦楽を共にするのが同志です。
 東北の皆様方と、共に苦しみ、共に楽しみ、共々に勝ち栄える。これが、私の決心です。
 
 ──若い世代の話を聞くと、人間関係で悩んでいる人が多いです。職場や学校などで、周りの人と気が合わないとか、ぶつかってしまうとか……。
 
名誉会長 どんな悩みでも、本人にとっては、切実な悩みです。
 信頼されて相談を受けた人は、誠実に親身になって応じていただきたい。またプライバシーは、絶対に厳守することです。問題によっては、より経験豊かな、信頼できる先輩に一緒に指導を受けるべきです。
 まあ、どんな世界にも「あの人だけは……」と思うような苦手な人がいるものです。
 私にも、ずいぶん意地悪な先輩がいました。
 友人同士だって、いつもうまくいくわけではない。家庭の中でも悩む。学会の同志の間でも、気が合わない場合もある。
 「四苦八苦」とは、もともと仏法の言葉です。「生老病死」という四つの根本の苦しみに、さらに四つの苦しみが挙げられています。その一つが「怨憎会苦《おんぞうえく》」です。嫌な人に出会い、憎たらしいと思う人とも一緒にやっていかねばならない苦しみです。
 要するに「人間関係の悩み」は、誰でも生きる限り、必ず直面する。一生の課題です。ですから若い皆さんが、多少、人とうまくいかなくても、むしろ勉強だと思って、大きな心で悠々と乗り越えていけばいい。それが自身の成長の土台となるのです。
 「怨憎会苦」が「四苦八苦」の一つであるということは、見方を変えれば、8分の1の苦しみに過ぎない。だから、人間関係の悩みに振り回されて、若い時代に成すべき勉学や研鑽を怠ってしまえば、損をします。
 「人がどうあれ、周りがどうあれ、自分は学び鍛えて前進する」という毅然とした信念だけは、青年として手放してはなりません。
          ☆
 ──今、インターネットやメールなどが悪用されて、青少年が事件に巻き込まれる場合があります。時代は濁り、悪い人間もたくさんいます。
 
名誉会長 その通りです。
 御書には、「悪知識と申すは甘くかたらひ媚び言《ことば》を巧《たくみ》にして愚癡の人の心を取って善心を破る」(7ページ)と喝破されています。
 悪い人間に誑かされて、自分の善なる心を破られてしまえば、こんな不幸なことはありません。
 賢くならねばいけない。強くならねばいけない。正しき哲学と善き連帯が大事なのです。
 「悪」は「悪」と鋭く見破って、近づけてはならない。愚かなお人好しでは、正義は貫けないし、善の世界を守ることもできません。これが大前提です。
 
 ──よく、わかりました。そのうえで、家族や友人など、身近な人間関係でも、難しい現実がさまざまにあります。
 
名誉会長 お互いに凡夫だからね。自分が人間ドラマの名優になるんです。
 戸田先生のもと、女子部の「華陽会」で、『小公子』という小説を学んだことがあります。
 主人公は、アメリカ生まれの快活な少年セドリック。父を亡くし、英国にいる貴族の祖父と一緒に暮らすことになった。高慢で偏屈だった祖父が、純粋で心優しい孫に感化され、温かな気持ちを持つように変わっていくという物語です。
 祖父は皆から敬遠されていましたが、セドリックはその立派な人間性を疑いませんでした。そして、強い尊敬と愛情をもって、粘り強く、しかも明るく祖父と接していきました。その振る舞いが、氷のようだった祖父の心を、徐々に溶かしていったのです。
 戸田先生は、「小公子(セドリック)が祖父を絶対に信頼したことが、意地悪な心を良くし、あらゆる状態を変えていったんだよ」と洞察されました。
 心を変えるのは、心です。自分が変われば、必ず相手も変わります。御義口伝には「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769ページ)と仰せです。
 相手の生命の「仏性」を信じて、心から尊敬していく。大切にしていく。その時は、かりに反発したとしても、実は相手の仏性も、こちらを礼拝し返しているのです。
 人を軽んじる傲慢な人間は、結局、自分も軽んじられる。
 人を尊敬し、その人から何かを学ぼうとする。そうすれば、人生は楽しく豊かになります。そして鏡に映すように、人からも尊敬され、最後は必ず勝つのです。
 
 ──なかなか思うようにいかない人間関係の中で、つい自信を無くしてしまうこともあります。
 
名誉会長 だから、祈るのです。祈りは、自分の強き深き一念の力用で、周囲を調和させ、価値創造の働きへ変えゆく究極の力です。
 また、相手のことを祈ることは、仏の振る舞いです。これほど尊く高い生命の位はありません。
 戸田先生も、よく言われました。
 「法華経には『魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る』と説かれる。どんな相手でも、自分の信心を強くしていけば、広宣流布という幸福と正義のために働く存在に変わっていきます。これは不思議なのです。ゆえに、祈れば勝ちだよ」と。
 祈りには、どんな人間関係も、幸福の「仏縁」へ、勝利の「善知識」へと変える力があるのです。
 
 ──陰で悪口を言う人間などもいますが……。
 
名誉会長 悪口なんか怖がってはいけない。平然と見下ろしていくのです。どんな偉人だって、さんざん悪口を言われています。
 日蓮大聖人は、御自身を迫害し抜いた権力者・平左衛門尉らのことを悠然と「日蓮が仏にならん第一のかたうど(=味方)」(同917ページ)とまで仰せです。
 戸田先生は、この大境涯を偲ばれながら、「敵など、断じて恐れるな! 全部、自分自身を完成させ、仏にしてくれる、闇の烈風に過ぎない」と叫ばれました。
 誰が何と言おうと、悩んでいる人のために、苦しんでいる人のために、断固として仏の使命を果たしていくのです。
 
新渡戸稲造の言葉は佐藤全弘訳「編集余録」、『新渡戸稲造全集』第20巻所収(教文館
 
何があっても生き生きと!
 
「苦楽ともに思い合わせて」題目を唱え、恐れずに前進していくことです
 
 ──若い女性の悩みで多いのは「人と比べて落ちこんでしまう」ことです。自分の容姿や性格など、「あの人はすごいけど、私はダメだ……」と自信が持てなくなってしまうのです。
 
名誉会長 それは男性も同じでしょう。男は見栄っ張りだから言わないだけです(笑い)。
 今、女子部の皆さんが学んでいる「一生成仏抄」には、「日夜に隣の財《たから》を計《かぞ》へたれども半銭の得分もなきが如し」(御書383ページ)という譬喩があります。
 自分自身の生命を離れて一生成仏の道を求めても、徒労に終わってしまうことを示されています。
 大事なことは、人と比べて落ち込むのではなく、「よし自分も!」
と発奮し、自らの心を明るく高めていくことです。
 あの豪放聶落な戸田先生も、若い頃は自分の卑屈さを直すために努力したものだと、率直に教えてくださいました。
 そもそも「あの人はすごい」と、友人の長所を評価できること自体、偉い心根です。今度は、自分の良いところを自覚して大いに伸ばすんです。
 「桜梅桃李の己己《ここ》の当体を改めずして」(同784ページ)と仰せのように、桜は桜、梅は梅、桃は桃、李《すもも》は李の良さがある。背伸びなどしなくていい。ありのままの姿で、自分らしく思い切り、花を咲かせればいいんです。
 ヒルティというスイスの哲人は語りました。
 「すべての真の財宝は、われわれの力の中にあるものにあるのだから、嫉妬や羨望はおよそ意味をなさない」と。
 大切な自分を卑下して心を暗くしては、絶対になりません。