小説「新・人間革命」人材城 39 2012年5月25日

大正尋常小学校の教員、保護者は、権力者の不当な圧力で牧口常三郎が、同じ下谷区の西町尋常小学校に転勤させられるという話を耳にする。
誰もが強い憤りを覚えた。
牧口の転任の撤回を求めて、教員は辞表を提出し、保護者は子どもを学校にやらないと、『同盟休校』に踏み切った。
だが、辞令を撤回することはできず、牧口は西町小の校長に異動となる。
この西町小奉職中に、北海道から東京に出てきた、若き日の戸田城聖と出会うのである。
牧口は、この赴任に際しても、「どの校長も一番に伺候する家」と言われていた、あの大物政治家のところへ、あいさつに行くことはなかった。
大物政治家の怒りはますます燃え上がり、東京市の教育課長や区長を動かし、再び牧口の排斥に乗り出す。
そして、赴任わずか三カ月で、東京市東部の本所区三笠町にある三笠尋常小学校への転任の話がもちあがるのだ。
同校は、貧困家庭の子どもたちのために設けられた東京市の「特殊小学校」のうちの一校であった。
授業料は徴収せず、学用品を提供し、児童のための、入浴、理髪の施設もあり、校医が疾病の治療にもあたるようになっていた。
三笠小への人事異動は、教師の間では「辞めさせることが狙いだ」と囁かれ、同校は『首切り場所』などと言われていたのだ。
この転任に対して、西町小でも、教員らによる牧口の留任運動が起こった。
牧口の尽力で同校の臨時代用教員になっていた戸田も、運動の先頭に立った。
だが、留任はかなわず、牧口は三笠小へ転任となったのである。
戸田は、既に牧口を、人生の師と定めていた。その牧口と行動を共にしようと、後を追うようにして三笠小に移る。
そして、同校の訓導となり、師弟共に、最も貧しい子どもたちの教育に、全精魂を傾けるのである。
師匠が最大の窮地に立った時に、弟子が何をするのか
──それこそが、本当の弟子か、口先だけの、あわよくば師を利用しようとする弟子かを見極める、試金石といえよう。