小説「新・人間革命」厚田2 2012年6月16日

山本伸一たちの乗った車は、ほどなく戸田記念墓地公園の正門に着いた。側面が三角形の、モダンなデザインの白い門である。
 伸一は、そのまま、車を走らせてもらい、まず、園内を一巡することにした。
 正門から真っすぐにメーン道路が続き、その正面には、円形の戸田記念広場がある。
 広場には、戸田城聖が逝去前年の一九五七年(昭和三十二年)の新春、青年部に贈った歌の碑があった。
  
  荒海の   鯱にも似たる    若人の   広布の集い     頼もしくぞある
  
 さらに、戸田が作詞した「同志の歌」を刻んだ碑もある。
 また、伸一が愛する北海道の同志たちに贈った歌の碑もあった。
  
  若き日の恩師が歴史を 刻みたる  北海天地に わが弟子舞い征け
  
 伸一が、戸田の故郷・厚田と、その少年時代を詠んだ詩「厚田村」の碑も立っていた。
 戸田記念広場を過ぎると、緑の芝生のなかに、白御影石の同じ形をした、「妙法」の文字と家名を刻んだ墓碑が、整然と並んでいた。
 一切衆生が平等に、「仏」の生命をもっていると説く仏法の教えの通り、そこには、なんの差別もない。
 『日蓮仏法の生命観を表現した、平等で明るく、雄大なものにしたい』というのが、墓園建設にあたっての、伸一の考えであった。
 また、美しく配列された墓碑が描き出すラインは、翼を広げた大鷲のようにも見えた。
 それは、世のため、社会のために何事かを成さんと、大望をいだいて厚田の地から飛び立った、恩師の心意気を示しているように、伸一には思えた。