小説「新・人間革命」厚田 8 2012年6月23日

山本伸一は、戸田記念墓地公園の職員の代表に、重ねて言った。
「新しい事業が開始されるということは、そこで働く君たちの一念が、奮闘が、仕事ぶりが、未来の規範となり、伝統となっていく。
今のみんなの苦労、努力こそ一切の根本であり、基盤となります。頼むよ」
─「本を固くすべし。然らば事業は己ずから発展すべし」とは、北海道で青春を送った、思想家・内村鑑三の言である。
講堂は鉄筋コンクリート造りの、地上二階、地下一階建てであり、伸一も、ここで墓地公園の開園記念行事の指揮を執ることになる。
伸一は、館内を一巡したあと、大広間で職員や北海道の代表幹部らと勤行を行った。
御本尊に深い祈りを捧げながら、恩師・戸田城聖を偲び、心で語りかけた。
『先生! 先生の故郷に、三世にわたる師弟旅を象徴する墓地公園が、遂に完成いたしました。先生のお名前を冠した墓地公園でございます。
これで、先生のお心を悩ませ、多くの同志を苦しませてきた墓地問題も、根本的な解決への道を開くことができます。
伸一は、常に、常に、先生のお心をわが心とし、悩める同志を守り、この世から不幸と悲惨をなくすために、生涯、師弟不二の大道を歩み通してまいります。
どうか、この厚田の天地より、私ども弟子たちの戦いを、ご覧ください!』
伸一の目には、微笑み、頷く戸田の顔が見えた。同志のため、広宣流布のため、全力で走り抜いた時、己心の師には、いつも満面の笑みが広がっている。
その夜、山本伸一は、早速、妻の峯子、長男の正弘と共に、戸田城聖の親戚が営む戸田旅館を訪れた。
恩師の故郷のことを、若い世代にも教えておこうと、あえて青年部の正弘も同行させたのである。
戸田旅館は、一九五四年(昭和二十九年)の夏、戸田と共に宿泊した、思い出深い旅館である。