小説「新・人間革命」厚田 9 2012年6月25日

戸田旅館は、厚田港のすぐ近くにある、こぢんまりとした旅館である。
「ごめんください」
山本伸一は、ガラガラと旅館の玄関のガラス戸を引いた。
顔を出したのは、戸田旅館の跡取り息子である戸田悟の嫁・和美であった。
「まあ、山本先生! ようこそおいでくださいました」
その声を聞いて、厨房にいた夫の悟が飛び出して来た。息子夫婦が、父母の旅館業を手伝っているようだ。
さらに、主の貞蔵も、妻の八重も、二人の孫を連れて玄関に出て来た。
一家は、皆、学会員である。
「先生。さあ、どうぞお上がりください」
貞蔵の言葉を制して、伸一は言った。
「玄関先で結構です。すぐにおいとましますので……」
商売のじゃまにならないように、あいさつだけして帰るつもりでいたのである。
貞蔵は、「それでは、せめて足だけでも休めてください」と言って、座布団を差し出した。
玄関の上がり框に腰を下ろしての語らいとなった。
「旅館の景気はどうですか?」
伸一が尋ねると、貞蔵は目を伏せた。
貞蔵の話では、客足が途絶えがちで、旅館の収入だけでは厳しいため、仕出し弁当も始めたと言う。
減収の原因は、意外にも、前年、石狩川に橋が完成したことであった。
それまで、札幌方面から厚田村への往復は、石狩川の渡船待ちに長い時間を要した。
そのため、厚田村で一泊し、札幌に帰ることが多かった。
しかし、橋ができ、容易に日帰りできるようになったことから、旅館に泊まる客が激減したのである。
便利になったことで、戸田旅館は不利益を被ることになってしまったのだ。
商売に浮き沈みはつきものである。
時代の流れも大きく影響する。だからこそ、信心を奮い起こし、智慧を湧かせ、創意工夫、努力を重ね続けていくことが大事になる。