小説「新・人間革命」厚田 30  2012年7月20日

戸田記念墓園の開園式は、会場の広場に立つ、詩「厚田村」の大きな碑に向かって、皆で、この歌を大合唱して終了した。
式典が終わると、山本伸一は風雪に耐え、厚田広布に一途に邁進してきた厚田総ブロックのメンバーと記念のカメラに納まった。
彼は、皆に深々と頭を下げた。
「ありがとう。皆さんが厚田広布の礎を、黙々と築いてくださったおかげで、戸田先生を顕彰する、この墓地公園の開園にこぎ着けました。
これからも、ますます厚田を、広宣流布の模範の地にしていってください。
どんなに意義ある施設が誕生しても、地元の広宣流布が進まなければ、その施設は、砂上の楼閣のようなものです。
どうか、厚田村の学会の組織を、日本最強の組織にしてください。わがブロックを、最も仲の良い、最も団結の強い、最も麗しい、人間の温もりあふれる創価城にしてください。
そして、わが地域に、幸せの実像を広げてください。それが、広宣流布の歴史のうえで、深い意義を刻む地域に生きる、同志の使命なんです」
引き続いて山本伸一は、牧口常三郎戸田城聖の墓碑がある、恩師公園の開園式に出席した。
伸一は、墓碑の前で、懇ろに勤行した。
彼は、北海道の天地に育まれた先師、恩師を偲び、心で語りかけた。
『牧口先生! 戸田先生! 北海道は勝ちました。小樽問答もありました。夕張炭労事件もありました。
しかし、その試練にさらされるたびに、わが同志は信心を強くし、不撓不屈の王者となりました。そして、ここに、生死不二の師弟の宝城が完成いたしました!』
勤行のあと、この年が、牧口の没後三十三年、戸田の没後十九年であることから、樹齢三十三年の「牧口桜」、十九年の「戸田桜」の記念植樹が行われた。
伸一は、植樹された両会長の桜を見つめながら、?二十一世紀に続く、絢爛たる創価桜の道を拓こう?と、強く心に誓うのであった。