小説「新・人間革命」厚田 33  2012年7月24日

厚田総ブロックの指導委員・飯野富雄は、同総ブロックの初代総ブロック長を務めた、四十代半ばの恰幅のよい壮年であった。黒縁のメガネが、よく似合っていた。
飯野が山本伸一に言った。
「この季節は、ちょうど鮭が遡上して来る時季なんですが、近年、厚田川には、鮭が上って来なくなってしまったんです。
ところが、数日前から鮭が来るようになりまして、みんな、喜んでおります。
鮭も私たちと同じ思いで、山本先生を歓迎しているんだと、さっきも、話し合っていたんです」
伸一は、笑いながら語った。
「それじゃあ、鮭に歓迎の御礼を言わなければいけませんね。
鮭が遡上する姿を、私は初めて見ました。東京では、こうした自然の姿を見ることはできません。いい思い出になります」
それから、厚田のメンバーに言った。
「皆さんもよくご存じのように、鮭は、川で生まれ、海を回遊し、何年かすると、産卵のために生まれた川に戻って来る。
時には、岩や石に皮を傷つけながら、必死に遡上し、雌雄一緒になり、卵を産む。
そして、卵を外敵から守るために、雌鮭は産卵した穴を砂利で覆う。その後、雌雄ともに、親鮭は死んでしまいます。
鮭も、子孫を残すことに、命を懸けているんでしょう。人間も同じです。後継者をつくるということは、そのぐらい大変なんです。
どうか、皆さんも、これまでに学び、培ってきた信心の一切を、命を懸ける思いで、お子さん方に、お孫さん方に、また、後輩たちに伝え抜いていってください。
信心の火を、身近なところに、ともし続けていくことから、令法久住の流れができるんです。
また、たくさんの人材を育て、恩師・戸田先生の故郷である厚田を守るとともに、日本中、世界中に送り出してください。
あの『厚田村』の歌にある、『征けと一言 父子の譜』のごとくあってください」