小説「新・人間革命」厚田 34  2012年7月25日

飯野富雄と妻のチヨは、厚田川の近くで喫茶店を営んでいた。それを聞いた山本伸一は、すぐに飯野の店を訪問することにした。
店の名は「厚田川」で、自宅の一角を改装し、店舗にしていた。
伸一と峯子は、店のカウンター席に腰を下ろし、コーヒーを注文した。妻のチヨが、コーヒーを入れてくれた。
飯野夫妻は共に厚田村の生まれであった。入会前から、二人には、村に住む学会員の友人が多く、よく仏法の話を聞かされた。
夫妻には、信心への偏見はなかった。
また、『学会は、決して悪い団体ではない』とも思っていた。
しかし、だからといって、入会に踏み切る気にはなれなかった。
彼らは、友人の学会員に勧められて、「聖教新聞」を購読し、『聖教グラフ』もよく見せてもらっていた。
グラフに載っている青年たちの、はつらつとした表情の写真を見ると、すがすがしさを覚え、希望を感じた。
グラフを見た二人は、語り合った。
「学会の青年は、世間の若者とは、どこか違うな。さわやかさと、挑戦の息吹のようなものが、心からにじみ出ているように思う」
「本当にそうね。みんな普通の身なりで、特別に着飾っているわけではないのにね。
内面の輝きのようなものを感じるわ」「近所の学会員も、みんな人柄がいいし、学会では、心の磨き方のようなものを、教えているんだろうか」
写真は、真実を雄弁に物語る。
夫妻が、こんな感想をもち始めたころ、学会員の友人の一人が、真剣に入会を勧めてくれた。
二人は、自分の心を輝かせたいとの思いで、信心を始めた。一九六二年(昭和三十七年)十一月のことである。
機関紙誌のもつ力は大きい。購読を続けるなかで、学会理解の土壌が、着実につくられていく。
機関紙誌の購読推進は、そのまま弘教拡大の推進力となるのだ。
入会した飯野夫妻は、喜々として学会活動に励んだ。