小説「新・人間革命」厚田 38  2012年7月30日

厚田村は、晴天続きであった。
十月三日も、さわやかな青空であった。
この日は、戸田講堂で、北海道の広布功労者に対する追善法要が営まれた。
物故者に名を連ねる百五十二人は、皆、山本伸一にとって、忘れ得ぬ共戦の同志たちであった。
勤行の導師を務めた伸一は、故人の冥福と遺族の繁栄を、懇ろに祈念した。
法要の席上、故人への名誉称号の授与も行われた。
そのなかに、「札幌・夏の陣」と呼ばれる、一九五五年(昭和三十年)八月の、札幌での夏季地方指導が契機となって入会した、石崎好治の名もあった。
夏季地方指導の札幌派遣隊の責任者であった伸一は、石崎の家を訪問したことがあった。
主の石崎好治は未入会であったが、二カ月前に妻の聖子が入会していた。
彼女は、この地方指導で、札幌に弘教の大きな波を起こそうと決意した。
そして、夫の好治に、「わが家で、学会の座談会を開くんですから、あなたのお友だちにも、参加するように声をかけてください」と頼んだ。
好治は、小学校の教員であった。
妻からは、「『創価学会』は、かつては『創価教育学会』と言い、北海道の師範学校で学ばれた、教育者の牧口常三郎先生が、初代会長ですよ」と聞かされた。
彼は、『それなら、同僚たちを誘ってみよう』と思い、声をかけた。そして、教員六人が座談会に参加したのである。
座談会の担当幹部は、東京の地区部長と、男子部の幹部であった。
座談会では、男子部員や婦人部員の体験発表があった。教員たちは、鼻先でせせら笑うような態度で話を聞いていた。
彼らは、宗教というだけで、迷信や非科学的なものと思い込み、教育者である自分たちには、無縁なものと決めつけていたのだ。
「宗教に基づいていないすべての教育は、実りのないものである」(注)とは、ドイツの教育家フレーベルの警句である。
先入観は、真実を見る目をふさいでしまう。