小説「新・人間革命」厚田 52  2012年8月15日

助教授候補となった漆原芳子は、小樽や苫小牧へ、御書講義に行くようになった。
困ったことには、御書を開いてもわからないことばかりである。しかし、身近には、教えてくれる人はいなかった。
悩んだ。教学理論誌の『大白蓮華』を第一号から取り寄せ、必死に学んだ。
また、東京などから北海道に来る幹部がいると聞けば、函館の港で待ち受け、乗り換えの列車が出発するまでの間、懸命に頼んで教えを受けた。
帰途は、函館に列車が到着し、青函連絡船が出航する間際まで、教学を教わった。まさに背水の陣であった。
支部の女子部の責任者としての活動も多忙を極めていった。
そのころ、父母の体調も優れぬうえに、妹が病の床に就いた。
家計のほとんどを芳子が支えねばならず、洋服一着買うこともできない生活が続いた。
ある時、女子部員に言われた。
「漆原さんは、いつも同じ黒いスーツばかりなんですね」
しかし、そんなことを、気にする余裕さえなかった。
『今こそ、宿命転換の時なんだ。すべてをやり抜こう!』
法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を」(御書一二五三p)の一節だけでも、身で拝したいと思った。
そこに、真実の教学の深化があると確信していた。
自分の家庭状況を考えると、猛吹雪のなかを手探りで進んでいるような気がした。だが、不思議なことに、悲哀は全く感じなかった。
彼女の心の暖炉には、歓喜の火が赤々と燃えていた。その火は、希望の未来を照らし出していたのだ。
広宣流布に生きる人の胸には、歓喜の火がある。どんな試練の烈風も、その火を消すことはできない。
むしろ、その火は、風が激しさを増せば増すほど、いや増して燃え盛るのだ。
そして、ますます鮮烈に、希望を照らし出すのである。信仰ある限り希望がある。