小説「新・人間革命」 2013年 1月12日 法旗 33

万人に仏性があると確信する不軽菩薩は、迫害を覚悟のうえで二十四文字の法華経を説いた。
 「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」(法華経五五七ページ)と、礼拝・讃歎して歩いたのである。
 しかし、それに対して、衆生は、不軽を杖や木で打ち、石や瓦を投げつけたのだ。
 彼の生き方が示すものは、相手の地位や立場に関係なく、等しく皆に、最大の敬意を表して法を説くということである。
 これが、広宣流布をめざす幹部の、そして、全学会員の姿勢でなければならない。
 不軽菩薩がどんなに激しい迫害を加えられても、但行礼拝し続けることができたのは、万人が仏の生命を具え、自身もその修行によって成仏するとの、仏法への揺るがぬ確信があったからだ。
 人びとを断じて成仏させねばならぬという使命に燃え、生命の因果の理法を強く確信していたのだ。
 成仏できるかどうかも、幸・不幸も、そのカギは、自己自身にある。そう自覚していくのが仏法である。
 ゆえに、日蓮大聖人は、「若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」(御書三八三ページ)と仰せである。
 己心を貫く生命の大法に従って生きるのが仏法者といえよう。
 人びとに賞讃されれば頑張り、非難中傷されれば仏法を捨ててしまうなど、周囲の状況によって一喜一憂するのは、己心の外に法を求める生き方といえよう。
 幹部は、会員一人ひとりに誠実と誠意をもって接し、讃え、励ましていかなければならない。
 また、幹部が会員への配慮に欠けていたり、不注意な言動があった場合は、当然、最高幹部がきちんと指導するなど、学会の組織として的確な対応が必要である。
 しかし、一人ひとりが銘記すべきは、どのような幹部がいて、失望、落胆することがあったとしても、自分の信心が一歩でも後退するならば、それは、魔に翻弄され、敗れた姿にほかならないということである。
 
■語句の解説
 ◎但行礼拝/「但礼拝を行ず」と読む。法華経常不軽菩薩品第二十の文。不軽菩薩の修行で、道行く人すべてを礼拝・讃歎した。