小説「新・人間革命」 2013年 1月11日 法旗 32
妙法を信じ切れないと、世間の法、つまり相対的なものの見方、考え方に陥っていく。
社会では、高い地位に就いた人や、権力、財力を手にした人が、周囲の人を蔑むことが少なくない。
反対に、自分より地位や権力、財力などがある人に対しては、ねたみや恨みをいだくことも多い。
仏法の法理を確信できなければ、学会の世界にあっても、同じことが生ずる。
たとえば、組織的に大きな責任を担うようになったことで、自分が偉くなったと錯覚してしまう場合もある。
すると、同志を自分より下に見て、横柄で傲慢な態度で接するようになる。
特に、力も自信もない人ほど、自分を大きく見せようとして、尊大な態度を取りたがる傾向があるものだ。
また、相手の社会的な地位や立場によって、おもねったり、蔑んだりすることもあろう。
あるいは、同志に対して慇懃無礼な態度を取ることもあろう。
それは、表面的には皆を敬っているように振る舞っていても、奥底に慢心があり、一人ひとりを仏の使いと信じて、尊敬することができないからだ。
幹部が、そんな生き方に堕してしまえば、皆が心を合わせていくことはできず、怨嫉を生む土壌がつくられていくことになる。
また、幹部同士の仲が悪いということは、互いに”自分が、自分が”という自己中心的な感情から脱し切れず、相手を尊敬することができないからである。
いかに取り繕おうとも、その生命は、修羅界、勝他の念に支配されているのだ。
大事なことは、各人が仏法者としての生き方を確立することである。
仏法の法理を確信した人間の振る舞いの手本は、あの不軽菩薩の生き方にある。