小説「新・人間革命」 2013年 1月21日 法旗40

一九六三年(昭和三十八年)十一月、愛媛県初の会館として松山会館が完成し、会長・山本伸一が出席して、落成入仏式が行われた折のことである。
 その席で伸一は、学会の会館は、「人材をつくる城」であり、「民衆救済の城」であり、「慈悲の城」であると力説。
 「どうか、皆さんは、一切の民衆を救うのだ! この松山の広宣流布をするのだ!との決意で立ち上がってください」と、訴えたのである。
 そして、帰り際には、参加者と握手を交わした。
 そのなかに、入会一年の羽生直一もいた。伸一は、羽生の手を、強く握り締め、じっと目を見つめて言った。
 「松山を頼みます!」
 羽生は、ぎゅっと握り返しながら、無我夢中でこたえていた。
 「はい! 頑張ります」
 彼は、強く心に誓った。
 俺は、山本先生に誓った。人間と人間の約束をしたんだ。
 あの言葉を、その場限りのものとして終わらせては、絶対にならない。
 松山の広宣流布の責任をもつのだ!
 それを、わが信念とし、努力に努力を重ねた。妻のみさ子と共に、草創の地区部長、地区担当員や支部長、支部婦人部長などを歴任していった。
 彼らは自分たちのことより、「広宣流布第一」「松山第一」と決めていた。
 広布こそ、わが人生と決めた時、人生は開花する。
 地域に会場がなくて、皆が困っていることに気づくと、当時、呉服店の二階にあった自宅を会場に提供した。
 会合に集ってくる人は、呉服店の玄関を使うことになる。
 ある時、店に税務署員が調査に来た。
 ひっきりなしに客が出入りしていると聞き、申告している以上の、莫大な儲けがあるのではないかと思ったようだ。
 羽生直一が帳簿を見せようとすると、税務署員は、「いや、結構です」と言って帰っていった。
 人の出入りは激しいが、皆、二階に上がり、帰る時も荷物が増えていない。訪問者は、会合参加者とわかったのだ。