小説「新・人間革命」 2013年 1月24日 法旗43
松山支部結成十八周年の記念勤行会が始まった。勤行、幹部指導のあと、司会者が、「松山支部の草創の功労者に、花束の贈呈があります」と告げた。
くよかな優しい顔立ちのなかに、毅然とした強さを秘めている女性であった。
松山支部の結成は、伸一が第三代会長に就任した一九六〇年(昭和三十五年)五月三日の本部総会の席上である。
かつて岩田は、“自分の人生は不幸を絵に描いたようだ”と思っていた。
結婚して一女をもうけたが、夫は戦病死した。以前、看護婦(現在の看護師)をしていた彼女は、幼子を実家に預け、松山の医院に勤めた。
戦後、数年して多少の蓄えもでき、娘の紀美子と松山で一緒に暮らすことにした。
家は、知り合いが住んでいた家を、ただ同然の家賃で借りることができた。
洋裁の技術もあった彼女は、家で洋裁の仕事を始めた。娘と一緒にいるために、自宅でできる仕事を選んだのである。
しかし、母子二人が食べていくことは容易ではなかった。早朝から深夜まで、働きづめであった。
五三年(同二十八年)の年末、岩田の体に異変が起こった。
入院治療が必要とされたが、結核病棟はいっぱいであった。
また、入院すれば、金銭的にも大きな負担がかかる。
さらに、娘の側にいなければとの強い思いもあり、結局、自宅療養することになった。
人生は、容赦なく襲って来る宿命の嵐との戦いといえる。
その嵐に勝ち抜く精神の強さを培ってこそ、幸福がある。