第11回 破邪顕正こそ学会精神       (2012.7.2付 創価新報)

正義によって立て
 日蓮仏法の魂は、「立正安国」である。
 大聖人は、人間を不幸にし、民衆を苦しめる魔性と真っ向から戦い抜かれた。
 邪義を破ってこそ、正義を打ち立てることができる。この御本仏に直結する「破邪顕正」の大精神を、青年は燃え上がらせることだ。
 「正しさ」は「強さ」である。その「強さ」を、勇気凛々と響かせていかねばならない。
 戸田先生は「強気でいけ」とよく言われた。
 悩める友には優しく、邪悪な人間には強く、どこまでも折伏精神で戦うのだ。その正義の前進に、功徳は必ずついてくる。
 
青年が師子吼せよ
 破邪顕正とは「声」の戦いである。
 声が真剣であればこそ、魔を断ち切れる。声が清新であればこそ、心を一新していける。
 わが信念を率直に勇敢に訴えきるのだ。真実の声こそが、皆の心の起爆剤だ。それが青年の特権じゃないか。「彼等は野干(狐の類)のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書1190㌻)である。
 師と同じ心で叫ぶ。この師弟不二の叫びが「師子吼」なのである。
 
言論の力を磨け
 戸田先生は、青年に言われた。「ひとたび戸田の弟子となったならば、いかなる邪論、暴論にも屈してはならぬ。断じて破折し、打ち破っていくのだ」と。この仰せの通りに、戦い勝ったことが、私の青春の誉れである。
 末法は「闘諍言訟」──すなわち言論の暴力が渦巻く時代であり、正と邪が転倒する世界である。ゆえに、正義の陣列が弱くなれば、民衆は嘆き、社会が乱れてしまうだけだ。
 青年は、正邪を鋭く見破る力をつけるのだ。正しい人を陥れ、善なる民衆の和合を撹乱せんとする卑劣な中傷には、痛烈に反論するのだ。臆病ではいけない。
 青年が先頭に立って、正義の対話、信頼の絆を大いに広げていこうではないか!