小説「新・人間革命」 奮迅 42 2013年6月22日

青年が伸び伸びと元気に活躍している組織には活力がある。前進がある。未来がある。
 三月四日、山本伸一は、立川文化会館で行われた、東京青年部の男女部長会に出席した。
 彼は、『自分の生命を削ってでも、青年を育成しなければならぬ』と決意していた。
 この日の指導で伸一は、戸田城聖が学会の後事の一切を青年に託した、3・16「広宣流布記念の日」の模様などを述べるとともに、「能忍」について語った。
 「能忍」とは仏のことで、悪世の娑婆世界に出現して、よく耐え忍び、慈悲をほどこすことをいう。
 「諸君は若い。長い人生にあっては、これからも、苦しいこと、嫌なこと、辛いこと、悲しいことが、たくさんあるでしょう。
 私たちは悪世末法に生き、広宣流布していこうというんです。苦難があって当然です。
 日蓮大聖人が、『山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし』(御書二〇二p)と仰せのように、苦難の連続が広宣流布の道であり、また、人生であるといっても過言ではない。
 そのなかで戦い、勝利していくことによって、煩悩即菩提、生死即涅槃の原理を証明し、大聖人の仏法の正法正義を示していくことができるんです。
 人の一生は、波瀾万丈です。勤めている会社が倒産したり、病に倒れたり、愛する家族を亡くしたりすることもあるかもしれない。
 しかし、たとえ、苦難に打ちのめされ、社会での戦いに、ひとたびは負けることがあったとしても、信心が破られなければ、必ず再起できます。
 最後は勝ちます。わが人生を勝利していくための力の源泉が信心なんです。
 そして、それには『能忍』、よく耐え忍ぶことが大事なんです」
 人間を無力にしてしまうものは、『もう駄目だ!』というあきらめにある。
 それは、自らの手で、自分に秘められた可能性の扉を閉ざし、精神を閉じ込めてしまうことにほかならない。
 あきらめこそが、敗北の因である。
 信仰とは、絶望の闇を破り、わが胸中に、生命の旭日を昇らせゆく力である。