【第31回】  永遠に常楽我浄の大道を  (2012.8.11)

お盆に当たり、各地の墓地公園・主要会館で諸精霊追善勤行法要が厳粛に営まれている。
 夏空に緑が美しい墓園には、今年も多くの皆様が訪れている。すがすがしい「三世永遠の安穏の園」で亡き人を偲び、妙法の祈りを捧げる。その真心を、故人も喜んでおられるに違いない。
 私も、全国、全世界の亡くなられた学会員、また、ご家族、先祖代々の追善回向を懇《ねんご》ろに行わせていただいている。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連尊者自身が仏になっただけでなく、目連尊者の父母も仏になられたのです。また上七代、下七代、上無量生《むりょうしょう》、下《しも》無量生の父母たちまでも思いがけなく成仏されたのです」(御書1430㌻、通解)
 何があろうと、強い信心で立ち上がれば、一家も、一族も、先祖も、皆、必ず救い切っていける。題目の光は、全宇宙に届くのである。
      
 仏とは、どこか遠くにいるのではない。戸田先生は大難の獄中で「仏とは生命なり」「われ地涌の菩薩なり」と覚知なされた。広布に戦う皆様ほど尊貴な人はいない。
 大聖人は亡き門下について「生きておられた時は生の仏、今は死の仏。生死ともに仏です」(同1504㌻、通解)と断言されている。
 生命は永遠であり、生死は不二である。ゆえに、亡くなった家族も、わが胸に一体である。常に一緒である。またすぐに広布の庭に舞い戻る。妙法で結ばれた絆は永遠に切れない。
 私たちは、生の時も死の時も、常楽我浄の生命の大道を共に前進していけるのだ。