【第19回】 希望の未来を描こう!(2013.11.1)
毎日が君と私の「夢の出発点」
アフリカの環境の母 ワンガリ・マータイ博士
「未来」は、「今」にあるのです。将来、実現したい何かがあるなら、今、そのために行動しなければなりません
──いよいよ全世界の同志が待ち望んでいた総本部が完成し「世界広宣流布」の新時代が開幕しました。おめでとうございます!
名誉会長 おめでとう! ありがとう! この新時代の主役こそ、未来部の皆さんです。
総本部も、未来部の皆さんに贈りゆく宝の城です。これから、創価の城を担い立って、人類を希望の光で照らしゆくのは、まぎれもなく、皆さんだからです。
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──総本部が竣工し、引き渡しの式典が行われたのは、10月2日「世界平和の日」でした。
池田先生が53年前(1960年10月2日)に、世界平和の旅に出発された記念日です。
天空には、大きな大きな美しい虹が出ました。
名誉会長 諸天も喜んでいるようだったね。
私の心には、みんなの未来を象徴する虹と映りました。世界中に平和と希望の「虹の橋」をかけゆく、君たちの晴れの姿です。
学会が創立100周年を迎える2030年──。その時、みんなは、どんなに立派な広宣流布の指導者に育っているだろうか。
世界を飛び回る仕事で奮闘している人もいるでしょう。未知の研究分野に挑む博士かもしれない。人材を育む教育者も、経済をリードする実業家も、生命を守る医師や看護師も、躍り出ているに違いない。偉大な芸術家もいれば、皆に勇気を送るアスリートもいる。
地域に社会に貢献する民衆リーダーも光っているでしょう。
私は、ただただ楽しみなんです。
私は、君たちの未来を信じています。信じ抜いています。どうか皆さんも、自分の力、自分の未来を信じて夢に挑戦してください。
皆さんの未来が限りなく開かれ、輝いていくよう、私も懸命に題目を送ります。
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──1969年(昭和44年)の聖教新聞の新年号に、50年後を想像する紙面が掲載されました。
その一方で、「本部幹部会のテレビ中継」 「外国人が仏法を語るために来日」 「翻訳機器を使いながらの国際座談会」など、今では実現しているものも多くあります。当時は夢物語だった未来構想を、池田先生が一つ一つ現実にしてくださったのだと感動します。
名誉会長 社会は、どんどんスピードを増して発展している。今は「おとぎ話」であっても、50年後には、当たり前のように現実となっていることもあるでしょう。
むしろ、今、みんなが心に描く“想像図”が、将来の現実になるのです。広布の未来になるのです。
日蓮大聖人は、「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231㌻)と教えてくださいました。
これまでがどうであっても、「今」から変えられる。「今」から未来へ、いくらでも新しい波を起こしていくことができる。
どんな困難も悠々と乗り越えていく力は、もともと、みんなの生命の中にある。湧き立たせることができるんです。
だからこそ、たとえ落胆することがあっても、不屈の勇気を燃やして、未来を思い描いてほしい。未来を見つめれば、視界が広がる。希望の未来を見つめれば、今やるべきことも見えでくるのです。
「未来は、ずっと先にあるわけではありません。『未来』は『今』にあるのです。将来、実現したい何かがあるなら、今、そのために行動しなければなりません」
今回は、博士の人生を貫いたこの言葉を、皆さんに贈ります。
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──マータイ博士は、ケニア共和国出身の環境学者です。祖国の森林破壊に胸を痛め、NGO(非政府組織)「グリーンベルト運動」を創設しました。アフリカ各地に植えた苗木は実に4000万本に及びます。2004年には、ノーベル平和賞を受賞されました。
──博士の環境保護の行動は、無理解からの偏見、中傷を浴び、何度も逮捕され、投獄されました。意識不明になるまでこん棒で殴られた経験もされています。
名誉会長 正義であるからこそ、偉大であるからこそ、迫害される。いかなる迫害にも屈せず、博士は戦い抜かれました。
どんなにつらくでも、何があっても、「未来」を見つめ、「希望」を手放さなかったのです。
博士は高校生の時、素晴らしい先生方と出会いました。いろんなことを話し合い、若き博士を応援してくれた。心の交流は、卒業後も続いたそうです。
そしてこの人間教育を通し、「どんな状況でも、他人を信頼すること、人生や他人に対して肯定的であること」という信念を持って成長できたと、振り返っておられます。博士は、未来に対して、人間に対して、社会に対して、希望なきところにも希望を見いだしていくことを心に刻みました。
みんなも、後ろを振り向いてクヨクヨしたり、人と比べて焦ったり、できないことばかり考えて悲観したりすることはないんです。
後ろではなく「前」を向き、人をうらやまずに「自分らしく」、できないことではなく「今できること」から始めればいい。
持てる力を全部、出し切る人が真の勝利者です。もうダメだと思うような時でもベストは尽くせる。誰にでも努力はできる。
「未来」には、必ず希望がある。
「中等部」「高等部」も、学会の洋々たる未来を思い描きながら、私が結成したんだよ。
──高等部を結成していただいたのは1964年6月、中等部は翌65年の1月でした。
名誉会長 来年、再来年は、それぞれ50周年を迎えるね。
64年と言えば、東京オリンピックが開催された年です。この年の12月、私は沖縄の地で小説『人間革命』の執筆を開始しました。
高等部を結成する際には、さまざまな意見があった。「未来のための布石も大切ですが、もっと優先すべきことがたくさんあるのではないか」と言う幹部もいた。
しかし、私は断言しました。
「30年後、40年後の学会をどうするのか。その時、学会の中核になっているのが、今の高校生です」
未来部メンバーを育てない限り、広宣流布の未来はない──これは、ずっと変わらない私の信念です。
うれしいことに、未来部メンバーは、広布と社会をリードする大人材に成長してくれた。そして、私と共に学会を盤石につくりあげてくれました。
今も、未来部への私の思いは全く変わりません。
いわば総本部の完成は、君と私の夢の出発点です。これからの毎日が、あなたと私の勝利のスタートラインです。
みんなと未来を見つめ、共に夢を描いていきたい。総本部からみんなが世界へ羽ばたいていく晴れ姿を見っていきたい──それが私の“未来像”なのです。
そのために、さらに道を開き、さらに手を打っていく決心です。
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──「11月は、学会の創立の月です。どのような意義があるのでしょうか」と質問を寄せてくれた高等部の部長がいます。
名誉会長 真剣な求道の心がうれしいね。
1930年(昭和5年)のこの日、偉大な教育者であられた創価の父・牧口常三郎先生は、ご自身の教育理念をまとめた『創価教育学体系』の第1巻を発刊されました。軍国主義の時代に、教育の目的は国家ではなく「子どもの幸福」にあると宣言したのです。
そして、この日が、学会の創立の日となりました。
牧口先生を陰で支えて発刊に力を尽くしたのが、わが恩師・戸田城聖先生です。戸田先生は、牧口先生の原稿の整理から、出版に必要な多額の費用まで工面し、師匠のために全てを注いだのです。
獄中でも正義を叫び抜き、44年(同19年)の11月18日、獄死されました。法のため、人のために尽くし抜かれた、あまりにも尊い生涯でした。
牧口先生と共に投獄された戸田先生は、終戦の直前である45年(同20年)7月3日に出獄しました。そして、牧口先生の思いを継いで、学会の再建に着手されたのです。
牧口先生が牢に入ると、それまで慕っていた弟子たちが、悪口を言って次々と去っていきました。
しかし、真の弟子である戸田先生だけは、「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」と感謝したんです。
この、あまりにも崇高にして峻厳な不惜身命の師弟の大道を、私もまた、断固として走り抜いてきました。
日蓮大聖人は、「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書1190㌻)仰せです。
何があっても恐れず、惑わず、師匠と共に戦い抜いていく──これが創価の師弟の魂であり、根本です。
この「師弟の魂」で、学会は発展してきました。これからも、永遠に変わりません。
未来部の皆さんが、ここから出発する英姿を、牧口先生、戸田先生も、会心の笑顔で見守ってくださることでしょう。
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──創立の月、未来部担当者として、「師弟の魂」を、さらにメンバーに伝えていきたいと決意しています。
名誉会長 担当者の皆さんには、本当に、いつもいつも、お世話になっています。感謝してもしきれません。
皆さんの心の中に燃えている「師弟の魂」が、そのまま末来部の友に自然と伝わっていきます。
心から心に通じていくのです。魂が魂と共鳴するのです。
仕事で忙しい中でも、疲れている時にも、学会精神を燃やして、メンバーを激励するために足を運ぶ。自分が悩みを乗り越えながら、メンバーの相談にのり、共に祈る。これ以上、尊い人材育成の実践が、どこにあるだろうか。
その行動が、その祈りが、「師弟の魂」あふれる戦いです。若き生命に伝わらないわけがない。
創価学会の未来を、私と共に、常に私と同じ心で見つめてくれているのが、未来部の担当者の皆様方です。
さあ、栄光の「11・18」です。
創立の“魂のバトン”を受け継ぐのは、他の誰でもない。私が最も期待する、「世界広布の新時代」の主役である、わが未来部の皆さんです。
皆さん一人一人が、創価の明るい未来そのものなのです。