若芽 12 2013年 11月2日

山本伸一は、"最初の授業"に参加した児童たちと一緒に、一階の一年一組の教室を出た。
二階に移動し、理科室、図書室、家庭科室、マルチパーパスルーム(多目的教室)、音楽室、放送室を見て回った。
家庭科室では、東京創価小学校の姉妹校である関西の創価女子中学・高校の数人の生徒が、歌の歌詞などを毛筆で書いていた。
彼女たちは、春休みで関東方面に帰省していた生徒たちであった。
「同じ創価学園に小学校が開校し、弟・妹たちが入ってくることになるのだから、自分たちも入学式のお手伝いをしたい」と、応援を申し出たのである。
伸一は、その話を教員から聞くと、彼女たちに言った。
「やっぱり、そうだったか。きっと、皆さんが、手伝いに来てくれるのではないかと思っていたんです。ありがとう!
私は、そうした心をもつ皆さんに育ってくれたことが、嬉しいんです」
伸一は、彼女たちに、小学校開校を記念して鉛筆を贈った。
それから、校長の新木高志に語った。
創価小学校でも、他人のことを思いやれる、心の真っすぐな子どもを育てていきまし
ょう。人間の心を失った、冷酷なエリートをつくってしまえば、民衆が苦しみます」
伸一は、教育の再生といっても、その根本は、温かで優しく、豊かな心を育てることに
こそあると確信していたのである。
マルチパーパスルームでは、教員と卓球をした。教師一人ひとりをよく知り、心を通わ
せ合いたかったのだ。さらに、音楽室では、ピアノも演奏した。
伸一は、教員たちを、彼の人間主義教育を分かちもち、学校という現場で実践してくれ
る同志であると考えていた。いわば、伸一の、さらには恩師・戸田城聖の、創価教育の父・
牧口常三郎の分身ともいうべき存在である。
それだけに、固く強い、心のスクラムを組みたかったのである。