若芽 46 2013年 12月14日

一九七八年(昭和五十三年)七月四日、東京創価小学校の作法室で、創立者山本伸一と教職員の懇談会は続いていた。
伸一は語った。「教育の成果は、十年後、二十年後、いや三十年後、五十年後、百年後に出る。長い目で見ていくことが大事です。
教師という仕事は、なぜ尊いのか──それは、世界の未来を担う仕事だからです。
次代の一切が、皆さんの双肩にかかっているからです。どうか、教師として、その誇りをもって、教育技術の習得に励んでください」
教師が、教育への情熱を燃やすことは、教師として必須の条件である。
そして、その情熱を有効に生かしていくには、教育技術の習得への、不断の努力が必要である。情熱と、技術の向上があってこそ、教育の進歩はある。
「教育は最優最良の人材にあらざれば成功することの出来ぬ人生最高至難の技術であ
芸術である」(注)とは、創価教育の父・牧口常三郎の言葉である。
懇談会は、午後六時半に終わった。
伸一は、このあとも小学校に残って、校長らと打ち合わせを行った。
その間に、教頭の木藤優は、校歌の歌詞を完成させようと努めた。
しかし、歌詞を仕上げることはできなかった。午後八時半、小学校から帰る伸一を見送りに出たが、玄関の隅の方で小さくなっていた。
すると、伸一の方から、木藤に声をかけた。
「校歌は、焦らずに、ゆっくり作ればいいですよ。重く考えるのではなく、軽やかな心で作ってください。児童に寄せる皆さんの心を、そのまま率直に歌詞にしてください。
れが、私の心でもあります。こう言えるのは、皆さんの心が、私と一体だからです。そこに創価小学校の強さがあるんです。
また、歌詞の案に、『創価小学校』とありましたが、ここは、特に軽やかに、舞い飛ぶようなイメージの調べにしてはどうでしょうか。
教員の皆さんは、全員が創立者です。私と同じ心で進んでください。頼みます」