若芽 48 2013年 12月17日

 
山本伸一は、木藤優が作詞した校歌の案を見ると、「これで作曲を進めてはどうか」と伝えた。
この校歌は、東京創価小学校の音楽教師である本杭克也が作曲し、十月に発表されることになる。
伸一は、創価小学校の児童らと、会いたくて会いたくて仕方なかった。
小学校に行ける日が待ち遠しかった。
子どもが大好きになる──それが、教育者に求められる最も大切な資質といえよう。
伸一の小学校訪問の機会は、なかなか訪れなかった。
彼のスケジュールはぎっしりと埋まり、二学期に入った九月の十一日には、第四次となる中国訪問に出発した。
二十日に帰国すると、本部幹部会など、学会の諸行事をはじめ、北京大学の学長や駐日イギリス大使らとの会見が続いていた。
伸一が、ようやく児童と会うことができたのは、十月一日に行われた第一回運動会であった。
午前十一時半、運動会が行われている創価学園のグラウンドに彼が姿を現すと、子どもたちの大歓声が舞った。
握手を求めて手を差し出す子もいれば、体にまとわりついてくる子もいた。
「皆さんと会いたかったよ。今日は、お土産にタイ焼きを持ってきたからね」
彼は、児童が差し出す手を握り、皆のなかに飛び込んでいった。
午後、伸一は、教職員と同じ運動着に着替えて、競技の応援をした。
綱引きやリレーのあと、来賓参加競技「手をとり合って」になった。
大人と児童が向き合って手を取り、おなかにビーチボールを挟んで、ゴールに向かうという競技である。
「よし、ぼくもやろう!」
伸一は、自らグラウンドに出た。教師たちは、創立者に参加してほしかったが、言い出しかねていたのである。
リーダーは、企画を成功させ、皆に喜んでもらうために、なんでも率先して行っていくことだ。
権威も、見栄も、さっさと脱ぎ捨てる覚悟なくしては、信頼は生まれない。