正義 22 2014年 1月28日

 
堀米日淳法主は、戸田城聖が、生涯の願業として掲げた会員七十五万世帯を成し遂げて逝去した直後の、一九五八年(昭和三十三年)五月の第十八回本部総会で、戸田について、次のように讃嘆している。
「御承知の通り法華経の霊山会において上行を上首として四大士があとに続き、そのあとに六万恒河沙の大士の方々が霊山会に集まって、必ず末法妙法蓮華経を弘通致しますという誓いをされたのでございます。
その方々が今ここにでてこられることは、これはもう霊山会の約束でございます。
その方々を会長先生が末法に先達になって呼び出されたのが創価学会であろうと思います。
即ち妙法蓮華経の五字七字を七十五万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」(注1)
さらに日淳は、「会長先生は基盤を作った、これからが広布へどんどん進んで行く段階であろう」(注2)と、戸田の広宣流布への業績を高く評価している。
そして、こう語っているのだ。
「先程来大幹部の方、役員の方々、又皆様方が相い応じて心も一つにし明日への誓を新たにされましたことは、全く霊山一会儼然未散と申すべきであると思うのであります。
これを言葉を変えますれば真の霊山で浄土、仏の一大集りであると私は深く敬意を表する次第であります」(注3)
「霊山一会儼然未散」(御書七五七p)は、日蓮大聖人が「御義口伝」に仰せの文である。
釈尊法華経を説いた霊鷲山の儀式は、今なお厳然として散らずに、続いていることを意味している。
日淳は、学会の本部総会で、戸田亡きあとも、弟子たちが広宣流布への誓いを新たにしている姿を、「霊山一会儼然未散」と言い、「仏の一大集り」と述べたのである。
それは、戸田が獄中で得た確信でもあった。
日淳法主の心には、仏法の眼から見た創価学会出現の真実の意義が、明確に映し出されていたのであろう。