正義 34 2014年 2月11日

山本伸一は、僧たちの学会への執拗な誹謗・中傷に、広宣流布を破壊することになりかねない魔の蠢動を感じた。
彼は、「今こそ会員一人ひとりの胸中に、確固たる信心と、広布の使命に生き抜く創価の師弟の精神を打ち立てねばならない」と強く思った。
また、「自分が直接、各地の僧と会い、誠意をもって、率直に対話し、学会について正しい認識、理解を促していこう」と決意したのである。
この一九七八年(昭和五十三年)の春から、全国各地で「合唱祭」が企画されていた。
四月十五日、伸一は、埼玉県・大宮の小熊公園で行われた埼玉文化合唱祭に出席した。
これには、県内にある宗門の寺院から僧侶を招待していた。
桜花に蝶が舞い、小鳥がさえずる、春うららかな日であった。
「理想郷・埼玉に歓喜の歌声」をテーマに掲げた文化合唱祭は、人びとの幸福と社会の繁栄のために、喜々として信仰に励む同志の、晴れやかな希望の出発を飾る舞台となった。
新女子部歌の「青春桜」をはじめ、「森ケ崎海岸」「母」厚田村」など「歓喜の歌声」が、春風とともに樹間に響き渡った。
伸一は、この日のあいさつで、広宣流布と文化について語ろうと思っていた。
本来、文化・芸術と宗教とは、切り離すことのできない、不可分の関係にある。
文化・芸術は、宗教という土壌の上に開花してきた。宗教によって人間の生命の大地が耕されてこそ、文化・芸術の大輪が咲く。
英国の詩人で批評家のT・S・エリオットは、「広く一般に受け容れられている誤りは、文化というものが宗教なくして保存され、伸張され、発展せられることが可能であるという考えであります」(注1)と論じている。
また、フランスの女性哲学者シモーヌ・べーユは、「すべて第一級の芸術は本質からして宗教的なものである」(注2)との箴言を残している。