小説「新・人間革命」 激闘28
激闘28
5月13日、山本伸一は九州に飛んだ。
”日本全国をくまなく回り、一人でも多くの同志と会って励まさねばならぬ!”
宗門の悪侶(あくりょ)による学会誹謗(ひぼう)に、苦しんでいる会員のことを思うと、伸一の胸は激しく痛むのであった。
鹿児島県の九州研修道場に到着した伸一は、翌14日、構内を視察しながら、九州の幹部や研修道場の職員らを激励した。
夜には、春季研修会として開催された、広島県の壮年・婦人の指導部、東京・台東区の各部代表の合同研修会に出席した。
彼は、勤行の導師を務めたあと、「法華行者逢難事(ほっけぎょうじゃほうなんじ)」の「各各(おのおの)我が弟子たらん者は深く此の由(よし)を存ぜよ設(たと)い身命に及ぶとも退転すること莫(なか)れ」から、「互(たがい)につねに・いゐあわせてひまもなく後世(ごせ)ねがわせ給い候へ」(御書965ページ)を拝して指導していった。
この御書は、文永11年(1274年)の1月14日に、大聖人が佐渡で認められ、富木常忍(ときじょうにん)、四条金吾をはじめ、弟子一同に与えられている。当時、大聖人に従(したが)う者は強く戒(いまし)める旨(むね)の、偽(にせ)の御教書(みぎょうしょ)が出されるなど、迫害は一段と激しさを増していたのである。
そのなかで大聖人は、たとえ大難を受け、命に及ぶようなことがあったとしても、絶対に退転してはならないと、弟子たちに呼びかけられている。そして、何があっても、皆が信心を貫(つらぬ)いていくために、「互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」と指導されたのである。
伸一は、力を込めて訴えた。
「人間は、一人になってしまうと弱い。ましてや、迫害のなかでは、恐れを感じ、自分の弱い心に引きずられ、次第に信心を後退させていってしまう。つまり、『臆病(おくびょう)』という自分の心が、師匠になってしまうんです。
ゆえに大聖人は、『心の師とはなるとも心を師とすべからず』(同892ページ)との経文をあげて、自分を正しい信心へと導く”心の師”の大切さを述べられています。仏道修行には、師匠が、また、同志が必要なんです」
5月13日、山本伸一は九州に飛んだ。
”日本全国をくまなく回り、一人でも多くの同志と会って励まさねばならぬ!”
宗門の悪侶(あくりょ)による学会誹謗(ひぼう)に、苦しんでいる会員のことを思うと、伸一の胸は激しく痛むのであった。
鹿児島県の九州研修道場に到着した伸一は、翌14日、構内を視察しながら、九州の幹部や研修道場の職員らを激励した。
夜には、春季研修会として開催された、広島県の壮年・婦人の指導部、東京・台東区の各部代表の合同研修会に出席した。
彼は、勤行の導師を務めたあと、「法華行者逢難事(ほっけぎょうじゃほうなんじ)」の「各各(おのおの)我が弟子たらん者は深く此の由(よし)を存ぜよ設(たと)い身命に及ぶとも退転すること莫(なか)れ」から、「互(たがい)につねに・いゐあわせてひまもなく後世(ごせ)ねがわせ給い候へ」(御書965ページ)を拝して指導していった。
この御書は、文永11年(1274年)の1月14日に、大聖人が佐渡で認められ、富木常忍(ときじょうにん)、四条金吾をはじめ、弟子一同に与えられている。当時、大聖人に従(したが)う者は強く戒(いまし)める旨(むね)の、偽(にせ)の御教書(みぎょうしょ)が出されるなど、迫害は一段と激しさを増していたのである。
そのなかで大聖人は、たとえ大難を受け、命に及ぶようなことがあったとしても、絶対に退転してはならないと、弟子たちに呼びかけられている。そして、何があっても、皆が信心を貫(つらぬ)いていくために、「互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」と指導されたのである。
伸一は、力を込めて訴えた。
「人間は、一人になってしまうと弱い。ましてや、迫害のなかでは、恐れを感じ、自分の弱い心に引きずられ、次第に信心を後退させていってしまう。つまり、『臆病(おくびょう)』という自分の心が、師匠になってしまうんです。
ゆえに大聖人は、『心の師とはなるとも心を師とすべからず』(同892ページ)との経文をあげて、自分を正しい信心へと導く”心の師”の大切さを述べられています。仏道修行には、師匠が、また、同志が必要なんです」
(2014年 4月23日付 聖教新聞)