小説「新・人間革命」 激闘35


 十軍に関する山本伸一の講義は、いよいよ、第十の「自高蔑人(じこうべつじん)」となった。
 「これは、自ら驕(おご)り高ぶり、人を卑(いや)しむことです。つまり、慢心(まんしん)です。慢心になると、誰の言うことも聞かず、学会の組織にしっかりついて、謙虚(けんきょ)に仏法を学ぶことができなくなる。また、周囲も次第に敬遠(けんえん)し、誤(あやま)りを指摘してくれる人もいなくなってしまう。
 社会的に高い地位を得た人ほど、この魔にたぶらかされてしまいがちなんです。

 『自高蔑人(じこうべつじん)』の心をもつと、みんなが褒(ほ)め讃(たた)えてくれれば、学会活動にも参加するが、機嫌(きげん)を取ってくれる人がいないと、仏道修行を怠(おこた)ってしまう。したがって、宿命転換も、境涯革命もできず、福運も尽きていきます。そして、結局は、誰からも相手にされなくなってしまう。最後は惨(みじ)めです。

 信心の世界、仏道修行の世界は、一流企業の社長であろうが、高級官僚であろうが、大学教授であろうが、あるいは、学会の最高幹部であろうが、皆、平等なんです。地位も、名誉も、関係ありません。
 信心の実証を示すために、社会で成功を収めていくことは大事です。しかし、それが、名聞名利(みょうもんみょうり)のためであれば、信心のうえでは、なんの意味もありません。地位や名誉は、絶対的幸福の条件でもなければ、成仏を決するものでもありません。

 信心の世界では、一生懸命にお題目を唱え、たくさんの人を折伏し、誰よりも個人指導に励み、多くの人材を育ててきた方が偉いんです。広宣流布のため、仏子のために、黙々(もくもく)と汗を流してきた方が尊(とうとう)いんです。
 信心の王者こそ、人間王者なんです。最高最大に御本仏から賞讃される大福運、大勝利の人であることを確信してください」

 熱のこもった講義であった。一人として魔に敗れ、退転していく人など出すまいとする、伸一の魂の叫びであった。
 研修は、まだ終わらなかった。
 「では、『富木殿御返事』、御書の962ページを開いてください」

(2014年 5月 1日付 聖教新聞