激闘38  2014年5月5日

 
五月十六日、山本伸一は、鹿児島から、空路、福岡に移動する予定であった。しかし、強風のため飛行機が欠航したので、もう一日、鹿児島に滞在することにした。
この日の午後、彼は、鹿児島の県長である利安真吉と共に、車で鹿児島市内の鹿児島会館等を訪れることにした。
少しでも多くのメンバーを励ましておきたかったのである。
同乗した利安は、二十三年間にわたって小・中学校の教員をした経歴をもつ、誠実な人柄の壮年である。
小柄で温厚だが、メガネの奥の目には、広宣流布への熱い闘魂が光る薩摩隼人であった。
車中、伸一は、利安に鹿児島県創価学会の現況などについて、詳しく尋ねていった。
利安の話では、奄美広宣流布が大きく伸展し、広布模範の地域になりつつあるということであった。
「村によっては、大多数の方が学会を深く理解して、学会の催しがあれば、全力で応援してくださるところもあります」
奄美大島では、一九六七年(昭和四十二年)に、地域の有力者らが中心になって学会員を村八分にし、「学会撲滅」のデモを行うなどの、激しい弾圧事件が起こった村もあった。
学会員というだけで仕事を奪われ、食糧品さえ売ってもらえず、脅しも続いた。御本尊を持っていかれ、燃やされた人もいた。
「その奄美広宣流布の模範の地域になったことは、本当にすばらしいね」
伸一が讃えると、利安は語った。
「はい。奄美の皆さんは、あれだけの弾圧がありながらも、一歩も引かずに、折伏をし抜いてまいりました。
仏法は生命の原因と結果の法則であり、信心の結果は、必ず現証と
なって現れると、言い切ってきました。
事実、信心を貫き通した人は大きな功徳の実証を示し、反対に、弾圧した人の多くが行き詰まりを感じたようです。
まさに現証を通して仏法の力が明らかになり、皆、学会員の言葉に耳を傾けるようになりました。
これが奄美広布伸展の第一の要因であると思います」