求道8  2014年 6月21日

田岡治子は、個人指導に行く前に、懸命に唱題した。全身に生命力が満ちあふれるまで、仏壇の前を離れぬという気迫のこもった唱題であった。
田岡は、婦人部員の家庭を訪問すると、満面の笑みで包み込むように語りかけ、相手の悩みを聞き出していった。
そして、真剣に耳を傾け、時には深く頷きながら、目に涙さえ浮かべるのであった。
それから、諄々と、仏法の偉大さを、御本尊の絶対の力を訴えるのである。
信心の姿勢に誤りがあれば、明快に、率直に、歯に衣を着せずに指摘した。
そこには信心への大確信と、相手を思う慈悲の一念があふれていた。
最後には、唱題や弘教など、具体的に実践すべきことを示し、再会を約すのである。
田岡は、個人指導した人の家には、斉間恵を連れて、再訪問した。
すると、実に見事な結果が出ていた。必ずといってよいほど、皆が悩みを克服しているのだ。
斉間は、最初、田岡と接した人たちが、とても人には言えないような、深刻で複雑な悩みを打ち明けることに、不思議さを感じた。
しかし、一緒に激励・指導に回るなかで、田岡の〝この人と同苦しよう!〟という真心の一念が、相手の心に響いているからであることに気づいた。
また、個人指導は、信心の歓喜と確信を呼び覚ます、火花を散らすような生命と生命の打ち合いであり、壮絶な魂の格闘であることを痛感していった。
先輩と後輩が共に活動するなかで、後輩は、折伏・弘教、個人指導などを習得していく。
〝共戦〟という実践なくして、本当の人材の育成はない。
斉間も、田岡のようになりたいと強く思った。田岡に教えられたように、唱題に唱題を重ね、体当たりでぶつかる思いで、個人指導に取り組んでいった。
日々、家庭訪問を自らに義務づけ、実践を積むにつれて、個人指導に対する怖さも、苦手意識も、次第になくなっていった。