求道7  2014年6月20日

山本伸一が第三代会長に就任した翌年の一九六一年(昭和三十六年)五月、斉間恵は、女子部東北第一部長の任命を受ける。
夜汽車に揺られ、青森県の八戸、岩手県宮城県など、広大な天地を駆け巡った。
「友が自分を待ってくれている!」
そう思うと、いつも、各駅停車の遅さに、もどかしさを感じるのだ。
彼女は、女子部の活動を通して、信仰観ともいうべきものが、大きく変わっていった。
入会当初は、母の母親、父の父親の若死にから、一家の宿命を感じ、その転換という功徳を願っての信仰であった。
しかし、次第に、人びとの幸福の実現を願い、広宣流布に生きること自体が、自身のこの世の使命であり、そのなかに、生命の躍動と歓喜があり、真の幸福があると、実感するようになっていった。
それは、自分や家族のみの幸せを願う利己的信仰から、自他共の幸せを願う信仰への昇華であった。
また、「なんのために生きるのか」という人生の確たる目的の確立でもあった。女子部時代に学会活動に励むことの大きな意味もそこにある。
結婚した彼女は、女子部を卒業し、六五年(同四十年)には、タテ線時代の支部婦人部長となる。
二歳と三歳の幼子を連れて、日々、学会活動に励んだ。
彼女の支部は、仙台駅前の繁華街が中心であった。支部の人たちは、皆、さまざまな悩
みをかかえていた。夫婦の不和、病気、子どもの非行……。
女子部出身で三十歳を超えたばかりの、人生経験の乏しい彼女には、荷が重かった。何を言えばよいのかも、わからなかった。緊張のあまり、的外れなことを口走ってしまったこともあった。
婦人部員の家庭を訪ねて、個人指導することが怖かった。
そんな時、かつて文京支部長をしていた田岡治子が、仙台第一総支部婦人部長に就き、東京から指導に通ってくれた。
多い時には月に二十日間も滞在して、こまめに個人指導に歩いた。
斉間は、道案内をしながら、激励・指導の基本を学んでいった。