求道9  2014年6月23日

山本伸一は、斉間恵が東北婦人部のリーダーとして大成していくように心を砕き、折々に激励を重ねてきた。
彼女は、その励ましを支えにして、人生の試練に出遭うたびに、信心で乗り越え、仏法への確信を強めてきた。
そして、一九七六年(昭和五十一年)六月には、宮城県婦人部長となり、同年十二月に東北婦人部長に就任したのである。
その斉間とコンビを組む、東北婦人部書記長の野崎裕美は、幼少期を東京で過ごした。
彼女が四歳の時、戦争で父は不帰の人となった。母一人子一人の生活が始まった。
東京の空襲が激しくなると、裕美は群馬県学童疎開し、母は神奈川県にあった父の実家に身を寄せた。
戦後、二人は、福島県にある母の実家に移り住んだ。
やがて、母は単身、仙台に行き、ソバ屋を始めた。必死に働いて、裕美を、高校、短期大学へと進学させた。
母は過労もあってか、胃潰瘍になり、ソバ屋の経営も行き詰まり、税金も払えない状況になってしまった。
苦悩から逃れたいと宗教を遍歴したが、床に伏している日が続き、生活は、ますます困窮していった。
短大に進んだ裕美は、栄養士の資格を取り、卒業後は、仙台で母と一緒に暮らした。それが母の希望でもあった。
しかし、仙台では、思うような就職先が見つからず、不本意ながら、炭鉱会社に勤め、雑務を担当した。
母子共に、不安と不満をかかえて日々を過ごしていた。そのなかで、母が知人から仏法の話を聞いて入会したのだ。
ほどなく、裕美も信心を始めた。「祈りは必ず叶います」との確信にあふれた言葉に決意を固めたのである。五五年(同三十年)七月のことであった。
入会を機に母は見る見る元気になり、喜々として洗濯に精を出す姿を目の当たりにした。
暗かった未来に、ほのかな明かりが差した。信仰とは、心に?勇気の灯?をともし、暗夜に「希望の光」を生み出す力である。