求道14  2014年6月28日

斉間恵は、几帳面で冷静であり、野崎裕美は、朗らかで常に明るさを失わなかった。
その二人が力を合わせ、東北広布の新しい牽引力になろうとしていたのである。
一九七八年(昭和五十三年)五月二十七日の午後――東北平和会館で、婦人部の桜の記念植樹に臨んだ山本伸一は、笑みをたたえて、婦人たちに語った。
「桜は、長い冬に耐え、春を迎え、美事な美しい花を咲かせます。
桜は、『冬は必ず春となる』(御書一二五三ページ)との御聖訓を、象徴しているといえるかもしれません。
東北の婦人部の皆さんは、どんなに苦しいことや辛いことがあったとしても、必ず信心で乗り越えて、この桜のように、幸せの花を満開に咲かせていってください」
伸一は、会館の庭に設置された歴代会長の文字を刻んだ碑の除幕式や、館内の視察などのあと、東北六県の代表幹部との懇談会に出席した。
彼は、冒頭、参加者に最大の敬意を表しながら語った。
広宣流布の戦いを起こし、『止暇断眠』『不惜身命』の言葉のままに、風雪に耐え、盤石な東北創価学会を築かれた皆さんを、私は心から賞讃いたします。
『風雪の幾山河』といいますが、皆さんの戦いは、文字通り、激しい吹雪をついての前進であられた」
伸一は、東北の同志が、どれほど大変な思いをしながら、地域広布の道を切り開いてきたかを、よく知っていた。
雪の中を泳ぐようにして、弘教に、同志の激励に歩いた壮年の体験も聞いた。集落中から信心を反対され、村八分同然の扱いを受けながら、笑顔を絶やさず、周囲に信頼の輪を広げ、一人、二人と、弘教を実らせていった婦人の話も耳にした。
まさしく、御書に仰せの通りに、広宣流布を進めてきた勇者たちである。
この方々を地涌の菩薩といわずして、どこに、地涌の菩薩の出現があるというのだ。どこに、仏の使いがいるというのだ。