求道13  2014年6月27日

 
野崎裕美が、常に心がけていたことの一つは、求道ということであった。
東北のメンバーは、地理的な条件もあり、東京などに比べて、どうしても最高幹部との接触の機会が少なかった。
彼女は、それによって、学会本部との心の距離も、遠くなってしまうことを憂慮し、どうすべきかを考えた。
山本伸一が第三代会長に就任した時、野崎は決意する。
「会長の山本先生を広宣流布の師と定め、しっかり呼吸を合わせていこう。
そのためには、まず私自身が、最高幹部の方々に体当たりして指導を受け、少しでも先生の心を知ろう。
そして、皆に、絶えず清新の息吹を伝えていけるようにしよう」
彼女は、仙台駅を通る幹部がいると聞けば、駅で待っては指導を求め、それを皆に伝えた。
やがて、東北女子部は、「自分たちは、本部と直結しているのだ」という自覚と誇り
をもつようになっていった。
また、野崎は、学会本部にも足しげく通っては、指導を受けた。
そのなかで、彼女自身が、大きく成長していった。
人は、求道心を失った時、信心の向上は止まり、慢心に侵され始める。仏法者とは、永遠の求道者であらねばならない。
そこに、人間革命の道があるのだ。
彼女は、教員の男子部員と結婚し、その後、婦人部に移行する。婦人部でも次第に頭角を現し、一九七六年(昭和五十一年)には、東北婦人部の書記長兼任で、斉間恵の後を継いで宮城県婦人部長に就いたのである。
斉間と野崎は、結婚後も幾度となく人生の試練にさらされた。
しかし、女子部時代から苦労して学会活動に励み、自分を磨き鍛えてきた二人は、決して挫けることはなかった。
生きるということは、宿命との壮絶な格闘といってよい。
それに打ち勝ってこそ、幸せはある。
勝つか、負けるか──その避けがたき現実を直視する時、信仰という生命の力の源泉をもち、何ものにも揺るがぬ人間の芯を確立する必要性を、痛感せざるを得ない。
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